言語の功罪

言語は本来、心を操作するための道具ではなく、世界と他者と行動を揃えるための道具だった。それを内面専用ツールとして使い始めたところから、私たちの混乱は始まった。言語は「幹」を共有するために生まれ、現代では「枝葉」を増やすために使われている。

言語は本来、世界や自分を考えるための道具ではなく、行動と協力を揃えるための道具だった。つまり、内面操作のツールではなく、外部接続のツール。① 言語は「生存のための同期装置」だった。狩猟採集スケール(最大150人)を前提にすると、言語の主な用途は、「あっちに獲物がいる」「危険が近い」「今日はここで休む」「次は誰が行く?」しかなかった。個々の内省や自己分析ではなく、集団の行動を揃えるための最短経路。ここでは、正確さよりも即時性、論理よりも方向、内面よりも外部、が圧倒的に重要。② 言語は「幹」を共有するための道具だった。当時の言語は、細かく説明しない、定義を詰めない、例外処理をしない。その代わり、何が大事か、今どこに向かうか、何を避けるかという幹の部分だけを共有していた。言語は、枝葉を増やす装置ではなく、枝葉を切り落として幹を揃える装置だった。③ 言語は「状態」を作る道具ではなかった。ここが現代との決定的な違い。本来の言語は、不安を消すため、自分を納得させるため、感情を制御するためには使われていまない。なぜなら、状態(安心・警戒・集中)は、時空+身体+環境で決まっていたから。言語は状態が整ったあとに使われる補助輪だった。④ では、なぜ現代では役割が反転したのか。文明化・都市化・文字化・個人化によって、集団での即時行動 ↓ 抽象的思考 ↑ 内面世界の肥大化 ↑ 身体・時空からの乖離 ↑ が起きた。その結果、言語が、世界と接続する道具から自分の内側を操作する道具へ
誤用され始めた。
ここで、考えすぎ、説明しすぎ、正当化しすぎ、枝葉末節地獄が始まった。⑤ だから「距離をとる」には知恵と技術が要る。現代人にとって、言語は強力すぎる、常時ON、自動起動だから、自然に距離は取れない。意識的に配置を変えるしかない。ここで初めて、時空を変える、身体を動かす、入力を遮断する、外部接続を戻すという「時空+身体/入出力/外部接続」モデルが言語の正しい居場所を回復させます。

【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。整理整頓。料理(レバーパテ)。昼食。大河ドラマ総集編鑑賞。ChatGPT。夕食。明日の予定アレンジ。就寝。(一言)

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)心配事の9割は起こらない 枡野俊明

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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