OS

OSとは、「人が無意識のうちに、世界と自分をどう扱っているかを決めている、前提の集合体」だ。少しだけ噛み砕くと、OSとは、考える前にすでに動いている、人生の初期設定のようなものだ。何を危険と感じ、何を安心と感じ、どこまでを自分の責任範囲とみなすか。それらを、意識せずに決めている仕組みである。私の言うOSとは、「人生をどう良くするか」を考える前に、人生が“どう回ってしまっているか”を決めている運営ルールである。思考で選んだルールではない。身体・潜在意識・環境が共同で作っている。たとえば、
疲れていても無理をする、評価が気になって予定を詰める、休むと罪悪感を覚える。これらは「性格」ではない。その人の人生OSが、そう動くように設定されているだけだ。価値観は、考えれば変えられる。OSは、生活を変えない限り変わらない。OSとは、人生の“主張”ではない。人生の“挙動”である。

私が言うOSとは、潜在意識を中心に、身体・生活・環境が組み合わさってできた「人生が自動運転されてしまう仕組み」である。そして私が卒サラ後にやったのは、潜在意識を説得することではなく、思考で押さえ込むことでもなく、生活OSの入力条件を変えることだった。だから、生活を整えたら不安が減った、接続先を減らしたら思考が静まった、身体を主語に戻したら納得が続いた。これは精神論ではない。OSが変わると、潜在意識は自然に落ち着く。潜在意識は変えにくい。だが、潜在意識が安心して働けるOSは、生活によって整え直せる。

OSは、潜在意識そのものではない。潜在意識の上に重なり、外界との間に張られた“膜”のようなものである。潜在意識が、生き物としての即時反応・生存判断を担っているとすれば、OSはその潜在意識がどんな条件で、どの強さで、どの頻度で反応するかを左右する層だ。その膜(OS)の特徴は、次のようなものだ。① 半透明で、普段は意識されない。OSは、目に見えない。人は自分がOSを通して世界を見ていることに、ほとんど気づかない。だから私たちは、「世界がそうなっている」「自分はこういう性格だ」と思い込みやすい。実際には、膜越しに見えているだけなのだ。② 潜在意識の“反応の強度”を調整している。同じ出来事でも、すぐ不安になる、ほとんど動じない、身体が先に拒否反応を示す、その差は、潜在意識の性能差ではない。OSという膜が、刺激をどれだけ増幅・減衰させているかの違いである。③ 生活環境によって、厚くも薄くもなる。この膜は固定されていない。忙しさ、速度、接続先の多さ、評価にさらされる頻度、これらが増えると、OSの膜は硬く、厚く、緊張した状態になる。逆に、生活リズムが整い、空間と人間関係が絞られ、身体感覚が戻ると、膜は柔らかく、透過性の高い状態に戻る。④ 膜が劣化すると、潜在意識が暴走する。OSの膜が文明的ストレスで劣化すると、小さな刺激で警戒モードに入る、理由なき不安が増える、思考が過剰に介入し始める、これは心が弱いからではない。膜が、潜在意識を守れていない状態だ。⑤ OSは、潜在意識を“守るため”に存在する。本来、OSの役割はこうだ。潜在意識が、過剰に働かなくて済むように、外界との間に適切な距離と緩衝をつくること。私が卒サラ後に行ったのは、潜在意識を変えようとすることではなく、この膜を、身体に合った状態に張り直すことだった。OSとは、潜在意識を外界の刺激から守り、人生が過剰反応せずに回るよう調整している、半透明の運営膜である。この表現は、潜在意識=中核、OS=調整層、生活=膜を張り替える行為という構造を示す。

【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。買物。来客準備。執筆。来客準備。大相撲観戦。知人夫婦と会食@自宅。就寝。(一言)

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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