人はなぜ思考のループから抜けだせないことが多いのか。思考は元々「答えを出す装置」ではなく、「危機を回避する装置」だから。
① 思考は「問題解決」ではなく「警戒」のために進化した。人間の思考(とくに言語的思考)は、不確実、危険、先が読めないという状況で、最悪の事態を想定し、回避するために強化されてきまた。つまり思考は、安心しているとき → あまり働かない、何かがズレているとき → 勝手に回り出す という構造を持っている。思考が止まらない=問題が解決していないではなく、身体や潜在意識が「安全ではない」と判断しているというサイン。
② 思考は「止める対象」ではなく「自走する反応」。多くの人は、考えすぎだ、もっと前向きに考えよう、気にしないようにしよう、こうすると何が起きるか。「思考を止めようとする思考」が立ち上がりループが一段深くなる。なぜなら、思考を止めようとする行為そのものが、「まだ安全ではない」「管理が必要だ」というメッセージを、身体に送り返してしまう。
思考は、「問題解決」のためではなく、「警戒」のために進化した。それは、不安が姿を変えて現れたものでもある。思考を止めようとすることも、結局は思考でしかない。思考を入口にした限り、出口は見つからない。
③ 生活がズレていると、思考は正しく暴走する。睡眠、食事、運動、情報量、人間関係、役割期待――これらが少しずつ噛み合わなくなると、身体は違和感を出す。しかし現代人はそれを無視する。代わりに思考が前に出てくる。結果、思考が「身体の代理人」として働き続ける。これが思考ループの正体。実は、ループしている思考は、無能なのではなく、むしろ忠実と言える。
④ 文明は「思考で自分を支えろ」と教えてきた。感情はコントロールせよ、不安は理屈で処理せよ、意味を見出せ、納得して動け。こう教えられてきた結果、身体が発する「違和感」や「疲労」より、
思考の整合性を優先する癖がついた。すると、身体は黙り、思考だけが残る。しかし安心は回復しない。ループ完成だ。
⑤ 抜け出す鍵は「考え方」ではない。だから、思考ループから抜ける方法は、新しい答えを見つけること、正しい考え方を身につけることではない。問題は、意識の持ち方ではなく、生活の置き方。よく眠れる、身体が重くない、情報が多すぎない、一日が自然に終わる。この条件が揃うと、思考は勝手に静まる。抜けようとしなくても、抜けている。人は、思考に囚われているのではない。身体が安心できない状態を、思考に肩代わりさせているだけなのだ。
「毎朝起きるのが楽しみでしょうがない」という感覚を知ってしまうと――もう、思考主義には戻れない。
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