死を「恐れている主体」は、ほぼ顕在意識。潜在意識(+身体)は、基本的に無頓着、あるいは処理済み。顕在意識は「死を恐れる装置」。顕在意識が扱っているのは:未来の想像、自己の連続性、失われるものの計算、「自分がいなくなる」という物語。つまり、死をイベントとしてシミュレーションする能力。だから、顕在意識は、先に恐れる、意味づけしようとする、回避策を考え続ける。これは欠陥ではなく、機能。一方、潜在意識・身体はどうか。潜在意識と身体が扱っているのは:今、危険か? 今、息ができているか? 今、安全か? 「今ここ」基準。なので、明日の死、老後の死、いずれ来る死には、原理的に反応しない。潜在意識が反応するのは:急激な痛み、窒息、落下、目前の危険、つまり、死そのものではなく、いま起きている生命危機。顕在意識:「人はいずれ死ぬ。怖い」vs潜在意識:「今は生きている。問題なし」と同じ人の中で、評価軸がズレている。このズレが、漠然とした不安、夜に出てくる思考、意味を探す衝動を生む。宗教が登場した理由も、ここ。宗教は何をしたかというと、顕在意識が作る「死の物語」「意味の空白」を、天国、輪廻、救済、解脱で物語として埋めた。顕在意識を安心させるため。一方で、潜在意識は、最初からそんな説明を必要としていない。
死を恐れているのは顕在意識。潜在意識(+身体)は、生きている限りは生きているという事実にしか反応しない。だから、顕在意識が静まると死の恐れも一緒に薄れる。それは悟りでも達観でもなく、人間の通常運転。夜に思考を止めたら静かだった、朝に理由なく気分がいい、「生きている感じ」だけが残る。これは、顕在意識が引っ込んだとき、潜在意識の無頓着な安定が前面に出た状態。つまり、死を恐れていない自分、生きていることを疑っていない自分が、もともといた。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。貸金庫-法務局。本屋。昼食with知人@荻窪。夕食。ChatGPT。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト
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