一昔前の私は、無意識のうちに過去と未来に多くの意識を割いて生きていた。感覚的には、過去40%、現在20%、未来40%といった配分である。過去は評価や反省の対象となり、未来は目標や不安の投影先となる。そのあいだにある現在は、それらをつなぐ通過点にすぎなかった。
この状態では、常にどこかが落ち着かない。過去の出来事に引きずられ、未来の可能性に引っ張られる。今ここにいるはずなのに、意識は別の時間に散っている。結果として、生活はどこか他人事のようになり、自分の軸が定まりにくい。振り返れば、このときの私は、外部の評価や社会の期待に合わせて動くことに多くのエネルギーを使っていたように思う。
しかし近年、意識の配分が明らかに変わってきた。いま目指しているのは、過去10%、現在80%、未来10%という状態である。過去は参照として必要な分だけ素材のように扱い、未来は方向づけのために軽く置く。そして意識の大半を現在に置く。
この変化は単なる気分の問題ではない。生き方そのものの質を大きく変える。現在に意識が集まると、身体の感覚がはっきりと立ち上がってくる。呼吸の深さや、力みの有無、心地よさや違和感といった微細なサインに気づきやすくなる。すると、無理をしている状態や、どこかズレている感覚にも敏感になる。
逆に言えば、過去や未来に意識が偏っているとき、人は身体の声を聞きにくくなる。頭の中の思考や物語が前面に出て、いまの状態が見えなくなる。その結果、無理やズレが積み重なっても気づかず、やがて、多くの場合タイムラグを置いて、疲労や不調として表面化する。
ここで重要なのは、意識の時間配分が、その人の「均衡点」を規定しているという点である。過去と未来に引っ張られているとき、均衡点は外部に依存しやすくなる。評価や成果、他者の期待に応じて、自分の状態が揺れ動く。一方で、現在に重心があるとき、均衡点はより内側に形成される。身体の感覚や日々のリズムに基づいた、無理のない安定が生まれる。
もちろん、過去や未来を否定する必要はない。過去は学びの源であり、未来は方向を示す。しかしそれらは主役ではない。あくまで現在を支える補助的な役割にとどめることで、全体のバランスが整う。
振り返れば、これは意識の問題というより、主導権の問題である。過去40%・未来40%のとき、主導していたのは思考であり、外部の文脈だった。現在80%のとき、主導するのは身体であり、今この瞬間の実感である。
人は、どの時間にどれだけ意識を配分するかによって、無意識のうちに自分の立ち位置を決めている。言い換えれば、どの均衡点で生きるかを選んでいるのである。
今に意識を置くことは、特別な修行ではない。ただ、いま起きていることに注意を向け、身体の感覚を手がかりにする。それだけで、少しずつ重心は内側に移動していく。そして気がつけば、無理なく続く状態、自然に戻ってくる場所が見えてくる。そのとき初めて、人は自分の時間を生き始めるのだと思う。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。執筆。移動準備。昼食。新中野-箱根峠。阪神タイガース観戦。移動後の作業。夕食。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
