狩猟採集民

現代の都市文明に生きる私たちは、デカルト的な「心身二元論」(心と身体は別物であり、理性や意識こそが自分であるという考え方)や、近代的な個人主義に深く浸透される。そのため、「自己=頭の中の顕在意識」と捉えがち。

しかし、人類の歴史の99%を占める狩猟採集社会において、人間が持っていた自己像は、「身体、時間、空間、関係まで含めた、状態を含む存在としての人間全体」だった。

①身体と環境の境界がない(アニミズムと身体性)。。。狩猟採集民にとって、自然(空間)は「征服すべき対象」ではなく、自分たちを生かし、相互作用するネットワークそのもの。彼らは、森や動物、植物にも自分たちと同じような「心」や「生命状態」があると考える(アニミズム)。この世界観では、「環境のコンディション」と「自分の身体のコンディション」は地続きであり、切り離せまない。頭の中の意識だけで「自然をコントロールしよう」とするのではなく、身体の感覚を研ぎ澄ませて環境のサインと同調すること(=状態としての存在)が、生存そのもの。

②関係性が自己を定義する(「個人」ではなく「分人」)。。。近代社会は、社会をこれ以上分割できない最小単位としての「個人Individual)」の集まりと見なす。しかし、狩猟採集民のコミュニティ(ダンバー数でいう150人以下のバンド)では、「他者との関係性の網の目のなかに、たまたま今現れている結び目」が自分である、という感覚が強くなる。親、仲間、子ども、さらには獲物である動物との関係性まで含めて「自己」が構成されており、顕在意識だけで独立した「孤立した自己」という概念自体が希薄。

③直線的ではない「時間の共有」。。。彼らにとっての時間とは、時計で区切られた未来へ向かう直線ではなく、季節の巡りや生命の循環といった「今、ここにあるプロセスの連続」です。過去の祖先や、これから生まれる生命、そして現在の自分が、同じ空間(トーテミズム的な聖地など)を通じてダイナミックに結びついている。時間は「消費するもの」ではなく、環境や他者と共に「生きる状態」そのもの。

③「認知の脳」ではなく「身体の脳」の時代。。。現代文明は、文字や法律、デジタルデータといった「文明のOS(Civilization OS)」の上で動いており、どうしても頭の中のシミュレーション(顕在意識)を肥大化させがち。一方で、狩猟採集民の生き方は、睡眠、空腹、疲労、危険への察知など、身体の情動やバイオリズム(身体のOS)に100%従う「ボディ・ファースト」な生き方。認知(頭)は身体のニーズを満たすための道具に過ぎず、主役は常に「状態としての心身全体」。

④近代の「ミスマッチ」を乗り越える視点。。。人類の脳は、サバンナで狩猟採集生活をしていた数万年前から生理学的にほとんど進化していない。つまり、私たちの脳にとって本来自然な「自己のサイズ」とは、「身体・空間・時間・関係がすべて溶け合った、状態としての全体」のはず。しかし、現代のデジタル文明や都市生活は、その境界線をバキバキに引き剥がし、人間を「頭の中の意識(あるいは画面の前の認知機能)」だけに押し込めようとする。これが、現代人が抱える特有の生きづらさや、脳と文明の「ミスマッチ」の本質。「自己とは、状態を含む存在としての人間全体である」という視点は、単なる古い未開社会の思想ではなく、現代人が肥大化した認知の暴走を止め、野生の調和(人間本来のOS)を取り戻すための、極めて先進的な補助線。

【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。執筆。料理。昼食。執筆。大相撲観戦。夫婦+知人と会食@新大久保。阪神タイガース観戦。就寝。(一言)

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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