人は「始める」のが好きだが、「終わらせる」とは限らない。人は、新しいことを始めるのが好きな生き物なのかもしれない。
新しい趣味。
新しい仕事。
新しいアイデア。
新しい街。
新しい人間関係。
新しい学び。
「これ面白そうだ」と感じた瞬間、人はかなり強く動き出す。一方で、不思議なことに、人は必ずしもそれを最後まで完璧に仕上げようとはしない。
途中で興味が薄れる。
別のことに関心が移る。
放置される。
形にならないまま終わる。
もちろん、それを「飽きっぽい」「根性不足」と捉えることもできる。しかし、人間の構造として見ると、少し違う景色が見えてくる。
人間は本来、「探索すること」に強く駆動される生き物なのではないか。狩猟採集生活を考えると分かりやすい。新しい水場を見つける。獲物の痕跡を探す。危険を察知する。未知の土地を歩く。人類の長い歴史の中では、「新しいものへ意識を向ける力」が生存に直結していた。
つまり人間には、「未知へ引っ張られるOS」が深く組み込まれている可能性がある。
一方で、現代文明は「完遂」を重視する。
締切を守る。
品質を安定させる。
最後までやり切る。
継続する。
管理する。
もちろん文明社会において、それらは極めて重要である。巨大な組織も、高度な技術も、この力なしには成立しない。
しかし、人間OSの深部は、必ずしもそこに最大の快を感じるようにはできていないのかもしれない。
実際、多くの人は、
始める時はワクワクする。
可能性が見えている時は楽しい。
構想段階ではエネルギーが湧く。
しかし、微修正、管理、点検、反復、最終仕上げの段階になると、急にエネルギーが落ちる。これは怠惰というより、「探索モード」と「運営モード」の違いなのかもしれない。さらに興味深いのは、人は「完成」すると興味を失うことさえある点である。
完成とは、ある意味で「探索の終了」でもある。未知だったものが既知になり、可能性が閉じ、構造が固定される。すると人は、また別の未知へ向かいたくなる。
だから本来、人間社会には、
始める人、
広げる人、
深める人、
整える人、
仕上げる人、
という異なる役割が存在していたのかもしれない。
現代社会では、「最後までやり切る力」が高く評価されやすい。しかし、人間の本質には、「未知へ向かう力」もまた深く組み込まれているように思う。そして人生とは、その両方の折り合いをどうつけるかという問題なのかもしれない。
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