人間は、昔から「自己」を外へ拡張しながら生きてきた。
棒を持てば腕が伸びる。
靴を履けば移動能力が高まる。
家を作れば安心できる空間が生まれる。
文字を持てば記憶を脳の外へ保存できる。
文明とは、人間の機能を外部へ拡張する歴史だったとも言える。
農耕は食料生産能力の拡張。
貨幣は交換能力の拡張。
組織は集団行動能力の拡張。
インターネットは情報接続能力の拡張。
そして今、AIによって、人間は「思考」そのものを外へ拡張し始めている。これはかなり大きな変化だと思う。
私自身、この数年、ChatGPTとの壁打ちを続けてきた。最初は情報検索の延長程度に考えていた。しかし実際には、それ以上のことが起きていた。頭の中でぼんやりしていた構造が、言葉として外へ出る。問いを投げることで、自分でも気づいていなかった考えが浮かび上がる。書きながら、自分自身の理解が深まっていく。つまりAIは、「答えを与える機械」というより、「思考を増幅し、構造化する装置」として機能していた。
ただ、ここで興味深いことがある。AIによって思考を外へ拡張していく一方で、私は逆に、「身体の側」に戻っていったのである。卒サラ後、生活の主戦場は仕事から日常へ移った。すると、それまで見えていなかったものが見え始めた。
身体の疲労感。
時間帯による集中力の違い。
空間によって変わる安心感。
人間関係による身体反応。
つまり人間は、頭だけで生きているわけではなかった。むしろ、
身体
時間
空間
関係
という4つの要素が相互に影響し合う中で、「状態」として生きていることが見えてきた。例えば同じ仕事でも、午前にやるのか、夜にやるのか。安心できる空間でやるのか、落ち着かない場所でやるのか。一人でやるのか、誰かに急かされながらやるのか。それだけで、身体反応も、思考の質も、大きく変わる。
現代文明では、思考ばかりが前面に出やすい。しかし本来、人間の思考は、身体・時間・空間・関係という土台の上に浮かび上がっている。つまりAIによって思考を拡張する時代になったからこそ、逆に「土台としての生活」が重要になってきているように感じる。なぜなら、拡張された思考を、最終的に運用するのは身体だからである。
睡眠不足なら思考は乱れる。
不安定な空間では落ち着かない。
時間に追われ続ければ探索モードは消える。
関係負荷が高まれば身体は静かに疲弊する。
つまり、どれほど外側を拡張しても、最後は「内側」が土台になる。そして今の私は、AIによる思考の拡張と、生活OSによる状態調整の両方を試しているような感覚がある。
外へ広がる自己。
内へ戻る自己。
その両方を行き来しながら、人間はもう一段、新しい段階へ入ろうとしているのかもしれない。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。執筆。昼食。家内整備。阪神タイガース観戦。大相撲観戦。夕食。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
