我々人間には、自らの命や家族、財産等多くの大切なものがある。そして、大切なもにに執着するので、失ったときや傷つけられたときに苦しみに悩まされる。最大の執着は自分自身だ。
生命とは、エネルギー・水・空気・物質のダイナミックな循環を構成するひとつの「渦」で、大きな循環の中でひっそりと誕生し、一定の時間、動的に平衡状態を保つが、命を全うすると、大きな循環の中に淡々と戻る。人間は、このちっぽけな「渦」に大きな脳を装備し、自己意識・自我を持つに至り、その脳の想像力を生かして、現実世界に加えて、各種想像世界(過去、将来、倫理・規則、他者の心、各種概念、自らの価値観等)を持って自己を中心とした天動説的でにぎやかな世界観を築いた上で、自己の身体について自己所有感を確立している。
ところが、諸法無我(=すべてものは実態がない)は、実態がいないものに人間が自己所有感を感じているだけだということを示している。我々は自然と一体的な存在で、自然の一部を自己と思い込んでいるだけだということだ。確かに、人間の体は、物質的には1年間でほぼ入れ替わるように、明らかに自然の一部だ。確かに概念的には自分は存在するが、物質的には生生流転する物質の一瞬の状態のことで捉えどころにないものだということ(「川」も同じく概念的で物質的に捉えるのは実は難しい)。
人間の大きな脳が作る世界にごまかされるなということか! 諸法無我(=すべてものは実態がない=全ては自然の一部)。
【今日の1日】7時半起床。家事一般。情報by新聞。朝食。ルンバ清掃。サイト運営。SNS受発信。家計ポジション確認。昼食。買物。夕食。阪神タイガース観戦。就寝。(一言)昨日のゴルフ疲れが継続。。。特定の知人と10時間ともにして多くの情報を交換できた!