宴席観察

昨夜、ジムとプールで軽く身体を動かしたあと、8人での宴席に流れた。年齢は45歳から70歳まで。いわゆる同世代とその前後が混じる、よくある顔ぶれだ。しかし、その場に座って感じたのは、「同じ時間を生きているはずの人間が、まったく違う世界にいる」という奇妙な感覚だった。

60歳の男性は、還暦を迎えたばかりで、いわゆる“卒サラ”をどうするか迷っていた。「パラダイムシフトが大きすぎて負荷が高い。仕事をだらだら続ける方が楽かもしれない」と語る。その言葉の奥には、役割や評価から離れることへの不安が透けて見えた。

63歳の男性は、最近の転勤で忙しさの渦中にあった。「慣れるまでが大変だよ」と言いながらも、その口調はどこか前向きで、環境に適応すること自体が当たり前の前提になっているようだった。

一方、57歳の独身男性は、「最近は音楽に加えて山にはまってきた」と笑う。仕事の話はほとんど出てこない。彼の関心は、明らかに外の評価から内側の感覚へと移りつつあった。

50歳の男性は、システム障害対応で直前にドタキャンとなった。彼の不在は、むしろ象徴的だった。現代の仕事の最前線では、「今ここ」にいられないほどの即応が求められる。

64歳の男性は、今年2月に胃がんで胃の三分の二を切除したばかりだった。「食生活が一変したよ」と淡々と語る。その言葉には重さはないが、確実に何かが変わった気配があった。身体が主語になるとき、人は否応なく生き方を組み替えざるを得ない。

70歳の男性は、週に二回ジムに通い、時にはパーソナルトレーナーもつけ、さらに山にも登るという。「心身のケアだよ」と軽く言うが、その生活はすでに整っている。負荷としてではなく、日常として身体を扱っている印象を受けた。

68歳の男性は、二冊目の出版に取り組んでいた。仕事の延長ではなく、自分の言葉として世界に何かを出そうとしている。その姿勢には、どこか静かな集中があった。

そして45歳の女性は、「仕事が忙しくて、こういう場で発散しないとやってられない」と笑う。彼女にとってこの場は、日常を抜け出すための一時的な逃げ場でもある。

こうして並べてみると、同じ場にいながら、それぞれがまったく異なるリズムと前提で生きていることがわかる。忙しさの中にいる人、そこから抜け出そうとしている人、すでに別の世界に軸足を移した人、そして身体をきっかけに強制的に再設計を迫られた人。

興味深いのは、彼らの違いが「年齢」では説明できないことだ。70歳でも整っている人がいれば、60歳で迷っている人もいる。45歳で疲弊している人もいれば、57歳で楽しみ始めている人もいる。

では、この違いはどこから来るのか。

私は、その場で一つの仮説を持った。人はそれぞれ、異なる「OS」で生きているのではないか、という仮説である。

役割や評価、収入といった外側の基準で動くOS。身体の感覚や日々のリズムを中心に据えるOS。あるいは、それらを道具として使い分けるOS。それぞれのOSによって、同じ出来事の意味も、同じ時間の流れ方も、大きく変わってくる。

昨夜の宴席は、単なる雑談の場ではなかった。人生の後半に差し掛かった人間たちが、それぞれのOSでどう生きているかを一望できる、小さな観察の場だった。

そして私は、そのどれか一つに属しているというよりも、それらを少し離れた場所から眺めている自分に気づいた。どのOSにも完全には属さず、しかしすべてのOSの動きを感じ取る位置。

もしかすると、これからの時代に必要なのは、この「観察する位置」なのかもしれない。

この章では、その仮説——人間が複数のOSを持ち、それをどう使い分けているのか——について、もう少し丁寧に見ていきたい。

【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。買物。昼食。料理。ジム・スイム-8人宴席@千駄ヶ谷。就寝。(一言)

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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