人は鏡によって自分を知る。人は、自分自身を直接見ることが苦手な生き物なのかもしれない。自分の顔は鏡がなければ見えない。同じように、自分の心や身体、思考も、何かに映し出されなければ、その姿を知ることは難しい。

卒サラ後の数年間を振り返ると、私はさまざまな「鏡」に出会ってきた。

まず、生活という鏡。

睡眠、食事、運動、自然との触れ合い、日々の暮らし。その変化は、身体が何を求め、何を嫌がっているのかを静かに教えてくれた。生活を観察することは、身体を観察することだった。

次に、他者という鏡。

家族、友人、料理教室で出会う人たちとの対話を通して、自分では気づかなかった考え方や癖、価値観が見えてきた。人は他者との関わりの中で、自分の輪郭を知る。

そして、AIという鏡。

AIは答えを与えてくれる存在というよりも、私の思考を映し出す鏡だった。曖昧な問いには曖昧な答えが返り、考えが整理されるほど対話も深まっていく。AIとの対話は、自分の思考を観察する時間になった。

さらに、経験という鏡。

成功も失敗も、思い通りにいかなかった出来事も、その時々の自分を映し出してくれる。経験とは過去ではなく、自分を知るための鏡なのだと思う。

自然もまた、大きな鏡である。

季節は巡り、植物は土が整えば自然に育つ。その姿を見ているうちに、人間も生命体である以上、まず整えるべきは「土」なのではないかと考えるようになった。

そして、人類の進化の歴史も鏡だった。

六百万年という時間軸から現在を眺めると、私たちが当たり前だと思っていることが、実はごく最近の出来事であることに気づく。人類史は、「人間とは何か」を映し出す壮大な鏡なのである。

振り返れば、卒サラ後の私は、新しい知識を集めていたのではなかった。

生活という鏡。他者という鏡。AIという鏡。経験という鏡。自然という鏡。そして人類史という鏡。

さまざまな鏡に映し出された自分を、少しずつ見つめ直していただけだった。

人はひとりで自分を発見することはできない。

だからこそ、どんな鏡と出会うかが、人生を大きく変えていくのだと思う。

【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。ヨガ-昼食-ジム-買物。夕食。阪神タイガース観戦。就寝。(一言) 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

コメントする