人は知識によって社会に適応し、その過程で多くのものを手に入れる。しかし、ある地点を越えると、同じやり方では前に進めなくなる。私にとってそれは、還暦でサラリーマンを卒業した後の三年間であった。
それ以前の私は、典型的な「知識型」の運用をしていた。仕事においては合理性と再現性を重視し、評価されることを前提に行動する。海外駐在や組織運営を経験し、不動産や株式で資産形成も進めてきた。社会の中で求められる役割に対して、必要な知識とスキルを積み上げてきたという意味で、このフェーズは非常に機能していた。
しかし、その状態のままではどこか満たされない感覚が残っていた。「できている」が「しっくりこない」。その違和感が顕在化したのが、卒サラ後である。
二拠点生活を始め、住まいやお金の構造を見直す中で、これまでの基準が揺らぎ始めた。同時に、人類史や進化の視点から人間を捉え直すようになり、自分の中に複数のOSがあるという理解に至った。この時期は、「正しさ」と「しっくり感」が衝突する時期でもあった。頭では正しいと分かっているのに、身体がついてこない。あるいは、言語では説明できない違和感が残る。さらに、多忙な時期には「心が追い付かない」という感覚も頻繁に起きた。今振り返れば、それは意味や感情の処理が追いつかず、キャリーが発生していた状態である。
転換が起きたのは、身体を基準にするようになってからである。思考で答えを出すのではなく、身体感覚に委ねる。具体的には、睡眠を中心に生活を再設計し、夜は潜在意識に処理を任せ、朝は自然に立ち上がるアイデアを受け取る。このリズムを続ける中で、無理に考えなくても「分かる」瞬間が増えていった。
また、関係性のあり方も変わった。仕事を通じた関係ではなく、安心して話せる友人夫婦とのつながりを再構築し、交流そのものを楽しむようになった。ここでも重要なのは、何をするかではなく、「どの状態で関わるか」である。
こうして三年目に入る頃には、生活が軽く回る感覚が出てきた。朝起きるのが楽しみであり、外から押さなくても内側から自然に動きが生まれる。この状態において、情報はもはや知識としてではなく、「意味」として処理される。判断基準も「正しいか」ではなく、「しっくりくるか」に変わった。
この変化は、新しい能力を獲得したというよりも、本来の人間の処理様式に戻ったという感覚に近い。知識による適応から、意味による統合へ。これが、私の三年間で起きていた本質である。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。知人3人とゴルフラウンド。阪神タイガース観戦。料理。宿泊3人と鍋宴席。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
