「疲れた」の正体を観察してみた。以前なら「今日は疲れた」と一言で片づけていた。しかし観察してみると、その「疲れた」は同じではなかったのである。私たちは、「疲れ」を一種類だと思いがちだ。しかし実際には、少なくとも三つの疲れがあるように思う。
一つ目は身体の疲れ。
長時間動いたり、睡眠不足になったりすると、身体は素直に疲れる。すると、不思議なことに物事を悲観的に見やすくなる。「今日はやめておこう」「うまくいかないかもしれない」といったネガティブな考えが浮かびやすい。これは意志が弱いからではなく、生命体として自然な反応なのだろう。まず休めという身体からのサインなのかもしれない。
二つ目は心の疲れ。
これは身体とは少し違う。やりたくないことを続けたり、自分らしくない生き方を続けたりすると、意欲そのものが失われていく。休んでもなかなか回復しない。「何もしたくない」という感覚が続く。この疲れは、身体よりも深いところから生まれているように感じる。
三つ目は思考の疲れである。
考え続ける。判断し続ける。情報を処理し続ける。現代社会では、この疲れも非常に大きい。頭の中がいつまでも動き続け、休まらない。身体は休んでいても、思考だけが働き続けていることがある。
最近の私は、多忙で身体が疲れる日はある。しかし観察してみると、心はあまり疲れていないことに気づいた。
身体が疲れると、一時的にネガティブな考えは浮かぶ。それでも一晩しっかり眠ると、「今日は何をやってみようか」という気持ちが自然に戻ってくる。つまり、疲れていたのは身体であって、心ではなかったのである。この違いに気づいてから、「疲れた」という言葉を一括りにしなくなった。
身体が疲れているなら休めばいい。思考が疲れているなら、情報から離れればいい。そして心が疲れていないなら、安心して前へ進めばいい。「疲れた」と感じたとき、その疲れは本当に何が疲れているのだろう。そう問い直してみるだけで、自分との付き合い方が少し変わるような気がしている。
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