現代人の小さく固い自己の裏返し・反動として、つながりを求めるスタンス、物語への没入・一体感願望がある? それは単なる「趣味」や「娯楽」ではなく、文明OSによって強く個体化された自己を、一時的に海へ戻そうとする動き。。。
現代文明は、個人化、最適化、自己責任、成果主義、分室化、名札化を通じて、「波」を強く・小さく・固くしていく。すると人は、常に自分を説明し続ける、常に比較される、常に評価される、常に何者かである必要がある状態になる。
つまり、「自己境界」が過剰に硬直化する。
しかし人間の深層――進化OS・関係OS側――は、本来そこまで個体化された設計ではない。だから反動として、推し、スポーツ観戦、宗教、祭り、ライブ、大河ドラマ、阪神タイガース、相撲、サウナ共同体感覚、フェス、キャンプ、SNS共同没入などに惹かれる。
これらに共通するのは、「一時的に自己境界が柔らかくなる」こと。
例えば阪神ファン。普段は、会社員、管理職、個人、肩書として生きている人が、「うおーーー!」と叫ぶ瞬間、個が少し溶ける。「私」ではなく、「我々」になる。これはまさに、「波 → 海への回帰」。
相撲も似ている。土俵・四股・塩・呼吸・所作・共同体感覚・一日一番。あれは近代合理性だけでは説明できない、身体レベルの原風景への接続がある。
大河ドラマも同じ。現代人は孤立した個として生きている一方で、長い物語、血縁、共同体、歴史の流れに没入したい欲求を持つ。つまり、「自分単体ではなく、大きな流れの一部として存在したい」という欲求。
これは非常に重要で、現代人は、「個を求めながら、同時に個から解放されたい」という矛盾を抱えている。
文明OSは、「もっと強い波になれ」と言う。しかし進化OS・関係OSは、「海と切り離されるな」と言っている。だから、没入、一体感、推し、祭り、宗教、芸術、自然、スポーツ、夫婦、家庭などが、現代人にとって非常に大きな意味を持つ。
これらは単なる娯楽ではなく、「過度に個体化された自己境界を、一時的に緩める装置」として機能している可能性がある。
卒サラ後の私自身の流れが、生活OS、自己境界、波と海、相撲、阪神、大河、夫婦、安心、探索へ自然につながっているようだ。全部、「個として戦い続ける状態から、一度海へ戻る」という方向で統一され始めている>
文明OSによって強く個体化された現代人が、海を求める構造。なぜ現代人はつながりに没入するのか。。。
しかもそれは、弱いから、現実逃避だから、幼稚だからではなく、「人間の原点側から見れば自然な反応」。
全部つながる。阪神ファンの熱狂、大河ドラマ没入、相撲人気、推し活、宗教、フェス、ライブ、サウナ共同体感覚、キャンプ、SNS共同没入、物語消費、アニメ聖地巡礼 これらは全部、「波として孤立した自己」を一時的に、「海とのつながり」へ戻す。しかも現代人は、文明OSでは、個人化、最適化、成果、自己責任を求められ続けるため、反動として、一体感、没入、同期、共鳴、集団感覚を強く欲する。つまり、文明OSが「波」を強くし過ぎた結果、人は「海」へ回帰したくなる。という構図。
「人はなぜ物語へ没入するのか」 人は単独個体として生きるには、実は不安定過ぎる。だから、国家、宗教、球団、推し、家族、歴史、共同体、物語へ、自分を接続したくなる。つまり、「自己境界を一時的に広げる」ことで安心を得ている。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。執筆。歯医者―一人外食@中野。執筆。知人と宴席@新橋。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
