就寝中の夢

夢の中では、地図が世界になる? 今朝、夢から目が覚めた。

夢を見ている最中は、それが夢だとは思っていない。場所がおかしくても、時間が飛んでも、昔の知人が突然現れても、それなりにその世界を「現実」として生きている。

ところが目が覚めた瞬間、「ああ、夢だったのか」となる。この現象を、最近考えている「地図」という言葉で捉えると、なかなか面白い。

私たちは、現実そのものを頭の中に持っているわけではない

起きているとき、私たちは外の世界と出会っている。目で見て、耳で聞き、身体で感じる。しかし、その膨大な現実を、そのまま頭の中に保存しているわけではない。必要なものを選び、整理し、言葉を与え、意味づけする。そうして頭の中にできるものを、私は最近「地図」と呼んでいる。地図は現実そのものではない。現実を扱いやすくするために、思考が編集した表現である。そして人間は、この地図を使うことで、「今ここ」には存在しないものまで扱うことができる。昨日の出来事を思い出す。来週の予定を考える。まだ存在しない本の構成を考える。10年後の自分を想像する。頭の中には、現実とは別の「仮想時空」が広がっている。

では、寝ているときの夢とは何だろう

眠っている間は、外の現実から入ってくる情報が大きく減る。それでも頭の中では、世界がつくられる。過去の記憶。知っている人。見たことのある場所。感情。身体感覚。おそらく、さまざまな地図の断片が組み合わされて、ひとつの世界が立ち上がる。しかも不思議なのは、その世界をかなり本気で「現実」として体験していることだ。現実にはあり得ないことが起きても、夢の中の私は意外なほど疑わない。だとすると、夢とは、外の現実との照合が弱くなった状態で、頭の中の地図が一時的に「世界」になっている状態と考えることもできるのではないか。

これは、私たちの日常生活にも起きている

ここで少し怖くなる。夢から覚めれば、「あれは夢だった」と分かる。しかし、起きているときにつくった地図については、どうだろう。「あの人は私を嫌っている」「自分はこういう人間だ」「将来はこうなるに違いない」「こう生きなければならない」これらは現実そのものではない。現実を受け取ったあと、頭の中で編集し、意味づけしてできた地図である。ところが私たちは、ときどきその地図を現実そのものだと思ってしまう。そして、まだ起きていない未来に不安になり、すでに終わった過去に苦しみ、頭の中の誰かと喧嘩をする。身体は「今ここ」にいるのに、思考は地図の中を走り回っている。考えてみれば、これは夢を見ている状態と、どこか似ている。

地図が悪いわけではない

もちろん、地図を持つことは人間の大きな能力だ。地図があるから、過去から学べる。未来を予測できる。計画を立てられる。まだ存在しないものを想像し、それを現実につくり出すこともできる。問題は、地図を持つことではない。地図を現実そのものだと思ってしまうことなのだろう。寝ている夢から目覚めたとき、私たちは自然に「ああ、夢だったのか」と言う。もしかすると、起きている時間にも、ときどき同じことが必要なのかもしれない。「ああ、これは現実そのものではない。私の頭の中の地図だった」そう気づいて、もう一度、身体がいる「今ここ」へ戻る。夢から目覚めるように。

人間は、地図をつくることができる。 そして、その地図の中に入り込むこともできる。 だからこそ、ときどき地図から顔を上げ、現実を見る必要がある。

寝ているときの夢は、そのことを毎晩、私たちに見せているのかもしれない。

【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。サイト運営。オイルうがい+白湯+ピラティス。朝食。執筆。美術館-昼食(天麩羅)-スタバ-長男宅-墓参り-散策-買物。夕食。阪神タイガース観戦。執筆。就寝。(一言) 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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