最近、いろいろなことが「直線」ではなく「循環」で考えると、不思議なくらい収まりがよくなる。少し大胆すぎる気もするのだが、どうもそう見えてしまう。
たとえば夫婦である。「卒婚」という言葉を口にする妻が、夫婦旅行には意外なほど積極的だったりする。最初は少し不思議だった。卒婚したいのなら、一緒に旅行することにも消極的になりそうなものだ。しかし、これは夫婦関係を直線的に考えているから矛盾して見えるのかもしれない。
結婚する。
一緒に暮らす。
夫婦としての時間を積み重ねる。
そして、そのまま添い遂げる。
一本の線として考えれば、「距離を置きたい」と「一緒に旅行したい」は反対方向になる。ところが循環として考えると、そうでもない。
近づく。
少し離れる。
それぞれの時間を過ごす。
また一緒に何かを経験する。
そして、それぞれに戻る。
これなら、「卒婚」と「夫婦旅行」は十分に同居する。むしろ、日常では適度な距離があるからこそ、ときどき一緒に旅をすることが楽しくなることさえあるのかもしれない。考えてみると、同じようなことは他にもたくさんある。
運動もそうだ。鍛える、鍛える、さらに鍛える、では身体はもたない。負荷をかける。疲れる。休む。回復する。また動く。身体は循環している。
思考もそうである。考えて、考えて、正しい答えに到達する。そう考えると一本の線になる。しかし実際には、現実と出会う。認知する。考える。判断する。行動する。そして、再び現実と出会う。思考も本来は、現実と現実の間にある循環の一部なのだろう。
お金も同じかもしれない。稼ぐ。貯める。増やす。これだけなら直線である。しかし、お金は使えば、経験になったり、モノになったり、人との関係になったりする。それが生活を整え、次の活動につながっていく。稼ぐ。蓄える。使う。何かに変わる。そして再び生活へ戻ってくる。こちらも循環である。
そもそも生命そのものが循環だらけである。呼吸する。食べる。排泄する。眠る。目覚める。動く。休む。
季節も巡る。生命も世代を越えて巡っていく。生命は、どこか一つの最終地点を目指して進んでいるというより、回り続けることで生きている。
一方で、文明は直線と相性がいい。目標を設定する。計画を立てる。実行する。成果を出す。さらに成長する。学校も、会社も、キャリアも、経済も、「今より先へ」という矢印で語られることが多い。私自身、長い間、その世界で生きてきた。だから無意識のうちに、人生そのものまで一本の線として見ていたのかもしれない。
ところが卒サラして、身体や生活を観察する時間が増えてくると、どうも現実はそれほど直線的ではないことに気づき始めた。
進んだと思ったら戻る。外へ向かったと思ったら内へ向かう。人と一緒にいたくなったと思ったら、ひとりになりたくなる。考えたくなったと思ったら、身体を動かしたくなる。そして、しばらくするとまた戻ってくる。以前なら、こうした揺れを「一貫性がない」と考えたかもしれない。しかし循環として見れば、ごく自然な動きにも見える。
だから最近、
直線型から循環型へ。
思考型から生命型へ。
文明型から自然型へ。
行動型から状態型へ。
そんな方向に自分の重心が動いているように感じている。ただし、直線を否定したいわけではない。
原稿を書くなら完成させなければならない。
旅行するなら目的地へ向かわなければならない。
仕事には期限がある。
ゴルフならボールをカップへ運ばなければ終わらない。
直線は必要である。問題は、人生そのものまで直線だと思ってしまうことなのかもしれない。
直線的な活動は、もっと大きな循環の中にある。動いたら休む。外へ出たら戻る。考えたら現実と出会う。人と近づいたら、ときには離れる。そう考えると、いろいろなことの収まりがよくなる。
直線を捨てて、循環へ移るのではない。直線を、循環の中に戻す。
最近見えてきたのは、そんな世界なのかもしれない。
【今日の1日】5時起床。家事一般。新聞+サイト運営。白湯+オイルうがい+ピラティス。朝食。情報整理。散歩-喫茶。昼食。親戚とオンライン。思索。大河ドラマ鑑賞。夕食。阪神タイガース観戦。執筆。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
