疑似感覚

「疑似狩猟採集生活感覚」――現代人は、なぜ同じ時空を求めるのか

最近、ひとつ面白い感覚に気づいた。

夫婦で過ごす時間。
コミュニティ型組織の空気感。
大河ドラマへの没入。
スポーツ観戦。
ライブ。
SNS実況。

一見、全く別のものに見える。しかし、その奥には、どこか共通する感覚が流れているように思う。

それを今の私は、「疑似狩猟採集生活感覚」と呼びたくなっている。人類の歴史を振り返ると、私たちの脳や身体は、長い間、狩猟採集生活の中で形成されてきた。

そこでは、

同じメンバー
同じ空間
同じ火
同じ食事
同じ物語
同じリズム

を共有しながら生きていた。つまり人間は本来、「孤立した個体」として生きていたわけではない。むしろ、「同じ時空を共有しながら生きる存在」だったのだろう。ところが現代文明では、状況が大きく変わった。

都市化。
核家族化。
ジョブ化。
分室化。
SNS化。

人は、役割ごとに細かく切り替えながら生きるようになった。通勤電車では大量の人と密着する。しかし誰とも話さない。オフィスでは一日中人と接する。しかし深い共同体感覚は薄い。便利になった一方で、人間は少しずつ「孤立した波」として生きる時間が増えていった。その結果、人はどこかで、「海とのつながり」を失いやすくなったのかもしれない。

だから現代人は無意識に、

スポーツ観戦
ライブ
フェス
映画
ドラマ
SNS実況
推し文化
宗教
オンラインコミュニティ

などへ惹かれる。そこには、

同じ時間
同じ感情
同じ物語
同じ空気感

を共有する感覚がある。例えば大河ドラマである。毎週同じ時間に、多くの人が同じ物語を見る。歴史。人間関係。裏切り。愛情。死。共同体。そこへ没入している時、人は一時的に、「個」としての境界を少し緩める。そして終わった後、ふと静かなざわつきを感じることがある。それは単なる「ドラマロス」ではなく、「共同体時空から、再び個体へ戻る揺れ」なのかもしれない。

夫婦もまた興味深い。特にシニア夫婦は、

食べる
寝る
話す
沈黙する
別行動する
また合流する

という、小さな共同生活を営んでいる。空間を整え、音を流し、匂いを共有し、時には無言で過ごす。これはある意味、「小さな狩猟採集共同体」に近い。現代人は、完全な共同体へ戻ることはできないし、その必要もないだろう。しかし、人間の深層には今も、「同じ時空を共有したい」という感覚が残っているように思う。

現代文明は、「波としての自己」を強く育てた。個性。自己責任。最適化。競争。境界。それは大きな発展をもたらした。しかし一方で、人は時に疲れてしまう。だから人は、無意識に、「海とのつながり」を求めるのかもしれない。そして人生後半になるほど、人は少しずつ、「何者になるか」より、「どんな時空を共有するか」を大切にし始めるのだと思う。

【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。執筆。知人と昼食@有楽町-TOKYO創業ステーション-喫茶。会社事務。夕食。就寝。(一言)阿部巨人監督逮捕! 阪神戦3連敗で心がざわついていたのか。。。

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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