顕在意識の一人芝居

「波は海の上でしか存在できない」――顕在意識の一人芝居を超えて

最近、自分の中で、いくつかの言葉が一本につながり始めている。

その中でも特に大きかったのが、「波は海の上でしか存在できない」という感覚だった。この言葉が見えた瞬間、これまで考えてきた、

生活OS
観察OS
自己意識
文明OS
宗教
安心
死生観

などが、一気につながった。そして振り返ると、その伏線は以前からあった。私は以前、「顕在意識の一人芝居」という表現を使っていた。

当時はまだ漠然とした違和感だったが、今思えば、かなり核心に近づいていたのだと思う。現代人は、「考えている自分」を、自分そのものだと思いやすい。

考える。
判断する。
比較する。
最適化する。
説明する。

つまり、頭の中の顕在意識が、自分の中心であり、人生をコントロールしていると思いやすい。しかし実際には、人間はそれだけで成り立っているわけではない。

身体。
呼吸。
感情。
潜在意識。
空間。
時間感覚。
関係。
自然。

そうした巨大な土台の上に、顕在意識は浮かんでいる。つまり、波は海の上でしか存在できない。しかし現代社会では、波だけが前面化しやすい。

役割。
成果。
評価。
SNS。
自己責任。
最適化。

常に「個」として立ち続けることを求められる。もちろん、それによって文明は大きく発展した。強い自己意識は、人類に文明をもたらした巨大な力でもある。しかし同時に、人間は「波」である自分を強く意識し過ぎるようになった。

比較。
不安。
孤独。
承認欲求。
終わらない自己最適化。

それらの背景には、「波だけで生きる苦しさ」があるのかもしれない。私は卒サラ後、生活OSという形で、

睡眠
朝ヨガ
空間づくり
二拠点生活
情報量調整
夫婦時間

などを整えてきた。最初は理論ではなかった。ただ、実践すると、身体が何度も、「快」と言ってきた。

落ち着く。
安心する。
呼吸が深くなる。
回復する。

つまり、身体は先に「海」を知っていたのである。そして最近ようやく、その意味が少し分かってきた。生活OSとは、単なる生活改善ではなかった。それは、「強すぎる自己意識」を運営するためのOSだったのかもしれない。

観察OSも同じである。観察OSは、顕在意識を否定するものではない。むしろ、「今、顕在意識の一人芝居になっていないか?」を見る機能なのだと思う。

つまり、「波だけになっていないか?」を見るのである。

そして、

身体
睡眠
呼吸
空間
関係
自然

へ戻していく。言い換えれば、「海を思い出させる」役割なのかもしれない。最近、私は思う。人間は、本来ずっと「海」の中にいた。しかし進化の過程で、偶然にも強い自己意識を持ってしまった。その結果、人類は文明を築いた。しかし同時に、「波」としての苦しみも抱えるようになった。だから人は、昔からずっと、

宗教
祭り
芸術
音楽
共同体
自然

祈り

などを通じて、「海」を思い出そうとしてきたのかもしれない。もちろん、波は必要である。社会で生きる以上、「個」は消えない。しかし重要なのは、「波だけが自分ではない」と思い出すことなのだと思う。波は、海の上でしか存在できないのである。

【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。箱根峠-海老名SA-知人宅―新中野。昼食。マンション総会。阪神タイガース観戦。執筆。夕食。就寝。(一言)

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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