頭は未来へ、身体は今

頭は未来へ、身体は今。最近、ひとつ気づいたことがある。不安になる時、私の頭はたいてい未来へ飛んでいる。

来月はどうなるだろう。
老後資金は足りるだろうか。
この本は出版できるだろうか。
健康は大丈夫だろうか。

頭の中では、まだ起きてもいない出来事について会議が開かれている。ところが、その時の身体を観察すると面白い。

椅子に座っている。
コーヒーを飲んでいる。
窓の外には木が揺れている。
危険なことは何も起きていない。

身体は今ここにいる。

つまり、頭は未来へ行っている。身体は今にいる。このズレが起きているのである。

人類は未来を想像する能力を手に入れた。それによって計画を立てられるようになった。備えることができるようになった。文明を発展させることができた。

これは素晴らしい能力である。しかし副作用もある。

未来を想像できるということは、未来を心配することもできるということだからだ。人間は現実の危険だけでなく、想像上の危険にも反応する。

身体は箱根のリビングにいるのに、頭は十年後の心配をしている。身体は安全なのに、頭だけが緊急事態を宣言している。そんなことが日常的に起きている。卒サラ後の私は、このズレを何度も観察した。

不思議なことに、身体の状態が整うと未来への不安は小さくなる。十分に眠った日。自然の中を歩いた日。人とゆっくり話した日。美味しいものを食べた日。そんな日は、未来の問題が消えるわけではないのに、不思議と落ち着いている。逆に、睡眠不足が続いたり、忙しさが続いたりすると、未来への不安が大きくなる。

私は以前、「考え方が変わるから安心する」のだと思っていた。しかし今は少し違う見方をしている。むしろ、「状態が変わるから安心する」のではないかと思うのである。

私たちはつい頭を主役にしてしまう。もっと考えよう。もっと計画しよう。もっと準備しよう。しかし身体は別のことを教えている。まず眠れ。まず食べろ。まず休め。まず安心できる場所に戻れ。そう語りかけているように見える。

人間は未来を考える存在である。しかし同時に、今を生きる生命体でもある。頭が未来へ向かうこと自体は悪くない。問題は、頭だけが未来へ行き、身体が置き去りになることなのだろう。

私が卒サラ後に学んだことを一言で表すなら、「頭は未来へ行ってもいい。でも身体は今に戻しておく」ということかもしれない。そして、その身体の状態を整える営みこそが、私の言う「生活」なのである。「頭は未来へ、身体は今。」そして人生は、頭ではなく身体が生きている。

【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。料理。執筆。知人とランチ@荻窪―買物。執筆。買物。料理。夕食。執筆。就寝。(一言) 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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