大きな地図

大きな地図を持つと、目の前のことに支配されなくなる

最近、自分の生活を一枚の図にしてみた。きっかけは、これまで考えてきた「4つの生活OS」や「3つの基盤」、「思考の置き場」といったものを、もう少し大きな視点から眺めてみたくなったことだった。きれいな図ではない。中央付近に「生命体」と書き、その周りに身体、時間、空間、関係、思考、安心などを置いた。さらに、新中野と箱根峠の家、車、病院、ゴルフ、ヨガ、家計、情報、出版、仕事、趣味、家族、友人、旅行、孫、墓、相続など、今の自分の生活を構成しているものを何となく配置してみた。

上には「文明」「社会」「制度」「自然」と書き、右下には「時間」と置いた。分類として正確かと言われれば、かなり怪しい。しかし、眺めているうちに思った。こういう大きな地図は、意外に有益なのではないか。

精密な地図とは違う

私たちは、何かを考えるとすぐに整理したくなる。分類し、定義し、因果関係を考え、できればきれいなモデルにしたくなる。もちろん、それは思考の得意技である。しかし今回作った図は、そういう精密な地図ではない。むしろ、「自分はいま、どんな世界の中で生きているのか」を一望するための地図である。地図というものは、すべての道が正確に描かれていなくても役に立つ。東京がどちらで、箱根がどちらか。海と山がどこにあり、自分がいまどのあたりにいるのか。それが分かるだけでも、ずいぶん違う。人生についても同じなのかもしれない。

中央にいたのは「思考」ではなかった

今回の図を描いていて、一番面白かったのはここだった。中央に置かれたのは、「生命体」だった。少し前までの私なら、「自分」の中心には思考を置いていたかもしれない。考えて、判断して、決めて、身体を動かす。そんなイメージである。しかし最近は、ゴルフやヨガ、散歩、料理、日々の生活を観察する中で、それとは違う感覚を持つようになった。

身体は勝手に調整している。感情も動く。人と会えば状態が変わる。場所が変われば気分も変わる。眠れば回復し、歩けば身体が目覚め、食べればエネルギーが入ってくる。人間はそもそも、巨大な循環システムとして動いている。思考は、その中に参加しているひとつの機能にすぎない。

だから図にしてみると、思考は中央から少し外れた場所に、自然と収まった。これは面白かった。「思考をどこに置けばいいのか」と頭で考えていたときよりも、人間全体の大きな地図を描いた方が、思考の置き場がよく見えたのである。

目の前の問題は、地図の一部分にすぎない

大きな地図には、もうひとつ効用がありそうだ。目の前の問題を相対化できる。たとえば税金や社会保険の手続きで面倒なことが起きる。その瞬間、頭の中ではそれが世界のかなり大きな部分を占める。出版の返事が来なければ、そればかり気になる。ゴルフがうまくいかなければ、それについて考える。家族のことで何かあれば、当然そこに意識が集中する。思考には、いま考えているものを世界全体のように感じさせる性質があるように思う。ところが大きな地図を見ると違う。「ああ、これは制度という一角の話だ」「これは情報・知性の領域の話だ」「これは身体の今日の状態だ」と見ることができる。その外側には、家族もいる。友人もいる。住む場所もある。自然もある。身体もある。経済もある。趣味もある。そして時間が流れている。ひとつの問題は、人生全体ではない。当たり前のことだが、大きな地図があると、それを視覚的に思い出せる。

心の平穏にも「地図」が必要なのかもしれない

私が最終的に欲しいものは、心の平穏である。だからといって、何も起きない人生にしたいわけではない。人と会いたいし、旅行もしたい。ゴルフもしたい。本も書きたい。家族とも関わりたい。新しいことも知りたい。つまり、世界との接続を切って平穏になるのではない。世界とつながりながら、必要以上に振り回されない。そのために、大きな地図が役に立つのではないかと思い始めた。自分が何者で、何によって生き、何とつながり、どのような時間の中にいるのか。それを完全に説明する必要はない。ぼんやりでもいいから全体像を持っている。すると、ひとつの出来事に意識を全部持っていかれそうになったとき、「いや、それは地図のこの辺りの話だ」と戻ってこられる。

思考には、大きな地図を渡しておけばいい

ここまで考えて、2冊目で考えている「思考の置き場」ともつながってきた。思考を止める必要はない。思考は非常に便利である。未来を想像し、問題を解決し、計画を立て、言葉にし、こうして文章を書くこともできる。問題は、思考が自分を世界の中心だと思ってしまうことである。だから、思考を排除するのではなく、大きな地図の中に戻してやればいい。中央にいるのは生命体。身体があり、時間があり、空間があり、関係がある。その生命体は、家族や社会や制度や文明や自然と接続しながら生きている。そして、その全体が時間の中で循環している。思考は、その循環を助ける編集者であり、ナビゲーターである。そう考えると、思考の役割がずいぶん軽くなる。

大きな地図は、正確でなくていい

今回描いた図は、まだ落書きに近い。おそらく今後も変わるだろう。それでいいと思っている。大きな地図の目的は、世界を完璧に説明することではない。自分の現在地を見失わないことである。人生の一部分で雨が降っていても、地図全体が雨なのではない。ひとつの道が行き止まりでも、別の道がある。そして何より、自分は「思考」という一点ではなく、もっと大きな生命体として、この世界の中を動いている。そう考えると、少し視界が広がる。

心の平穏とは、問題がなくなることではなく、自分の問題を大きな地図の中の適切な場所に置けることなのかもしれない。

【今日の1日】5時起床。家事一般。新聞+サイト運営。白湯+オイルうがい+ピラティス。朝食。ゴルフは霧で中止-関係者に連絡。ゴミ捨て-知人宅。知人の将来について考える。昼寝。夕食。夕寝。阪神タイガース観戦。就寝。(一言) 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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