話題

人は何を語るのか? ― 会話の話題から見えてくる人生の現在地

人と話していると、食べ物とお金の話が実に多いことに気づく。「あそこの店は美味しかった」「最近、物価が高くなった」「株価が上がった」「年金はいくらもらえるのか」。誰にとっても身近な話題であり、会話の共通項になりやすい。しかし、よく観察してみると、話題にはその人の置かれた環境や人生の段階によって、一定の傾向があるように思う。サラリーマン同士なら人間関係、シニア同士なら健康、そして卒サラ生活を楽しんでいる人なら趣味や経験の話が増える。これは単なる偶然なのだろうか。

生命体として人間の会話を分類する

人間をひとつの生命体として眺めると、会話の話題は大きく5つに分類できそうだ。

話題生命体としての意味典型的な関心
食べ物エネルギー補給・快楽全世代共通
お金資源確保・安全全世代共通
人間関係所属・協力・承認・比較サラリーマン
健康身体機能・生命維持シニア
娯楽・経験探索・刺激・学習・充足卒サラ生活者

食べ物は生命維持の基本である。一方、お金は現代文明において、生存に必要な資源を確保するための道具である。興味深いのは、食べ物が主として「現在の身体」に結びつくのに対し、お金は「将来を予測する思考」に結びつきやすいことだ。人間は今日の食事を楽しみながら、10年後、20年後のお金の心配もしている。この時間軸の違いは面白い。

サラリーマンは人間関係を語る

私自身、37年間半のサラリーマン生活を送った。振り返ると、仕事の話のかなりの部分は、実は人間関係の話だったように思う。上司、部下、同僚、取引先。誰が昇進した、誰が異動した、誰と誰の関係が良くない。組織の中で生きる以上、他者との協力や評価は重要である。しかし、そこにはもうひとつの側面がある。組織の中で、自分がどのように位置づけられているか。人間関係の話は、しばしば「社会の中の自己」を確認する作業でもあるのだ。私も卒サラしてから、こうした話題への関心が徐々に薄れていった。会社という共通の世界から離れると、そこでの評価や序列が、自分の生活にほとんど関係しなくなる。脳を占有していたひとつの大きな関心領域が、静かに縮小していったのである。

シニアになると健康を語る

一方、シニア同士の会話では健康の話が増える。病気、薬、検査、通院、睡眠、運動。若いころは、身体が動くことを当たり前だと思っていた。しかし、年齢を重ねるにつれ、身体は必ずしも思いどおりには動かなくなる。そこで、それまで背景にあった身体が、意識の前面に出てくる。これは生命体として自然な反応だろう。ただし、健康の話にもふたつの方向があるように思う。一つは、身体の不調や衰えを語ること。もうひとつは、身体の可能性や改善を語ること。最近、私はジム、ヨガ、マシンピラティスなどに時間を使うことが増えた。身体が少しずつ変化し、活動的になっていく感覚がある。同じ健康の話でも、前者は「失われるものへの関心」、後者は「これからできることへの関心」と言えるかもしれない。もちろん、病気への対処は重要だ。しかし、健康を維持する目的は、健康そのものだけではない。身体を使って、これからも世界と関わり続けること。そこに健康管理の積極的な意味があるように思う。

卒サラ生活では何を語るのか

さて、卒サラして4年間が経過。私自身の会話の話題は、随分変わった。自然、歴史、文明、人間の認知、AI、旅行、運動、料理、そして日常生活の中での小さな発見。サラリーマン時代には、これほど幅広い話題に関心を持つ余裕はなかった。仕事という巨大な課題が、脳の相当部分を占有していたからだろう。卒サラによって、その占有領域が解放された。ただし、自由時間が増えれば、自然に関心が広がるわけではない。会社を辞めても、お金や過去の仕事、人間関係への関心が中心に残ることもある。また、健康への不安が生活の大部分を占めることもある。反対に、年齢を重ねても、未知の世界への好奇心を持ち続ける人もいる。この違いは、どこから生まれるのだろうか。

会話は脳の占有状況を映している

ここで、ひとつの仮説が浮かんだ。人間の会話の話題は、その人の脳が何に占有されているかを映し出しているのではないか。生存への不安が強ければ、お金や健康の話が増える。組織の中で評価を気にしていれば、人間関係の話が増える。そして、生活基盤が安定し、外部世界への関心が高まれば、探索や発見の話が増える。もちろん、話題だけでその人の内面を判断することはできない。食べ物を通じて文化や歴史を探究する人もいれば、お金を通じて社会の仕組みを考える人もいる。重要なのは、何について話すかだけでなく、その話題を通じて、どこまで世界が広がっているかなのだろう。

生きるために世界を見るのか、世界を知ることを楽しむのか

人間は、まず生きなければならない。食べ物を確保し、安全を守り、他者と協力する。これは生命体としての基本的な活動である。しかし、人間にはもうひとつの特徴がある。生存に直接必要ではないことにも、強い関心を持てることだ。宇宙の成り立ちを考えたり、数千年前の文明を調べたり、知らない街を歩いたりする。それらは今日の食事を確保するために必要な行動ではない。それでも、人間はそこに喜びを感じる。生命維持のために発達した認知能力が、やがて世界そのものを探究する能力へと広がった。そう考えると、人間という生命体は実に面白い。そして、卒サラ生活とは、その探索能力をもう一度、自由に使えるようになる時期なのかもしれない。

64才。これから何を語る人間になるのか

最近、私は「自己への意識を減らすより、世界への関心を増やす」ということを考えている。自分の評価、自分のお金、自分の健康。もちろん、どれも大切だ。しかし、それらばかりを考えていると、世界が次第に小さくなってしまう可能性がある。反対に、自然に接し、身体を動かし、人と交流し、新しい文化や知識に触れることで、世界は広がっていく。私が目指したいのは、健康やお金の話をしなくなることではない。それらを生活の土台として整えたうえで、もっと多様な話題を楽しめる人間になることだ。食べ物を楽しみ、お金を適切に使い、人との関係を保ち、身体を整える。そして、その先にある未知の世界を探索する。生きるために世界を見るだけでなく、世界を知ること自体を楽しむ。64才の今、そんな方向に自分の関心が移ってきたように感じる。考えてみれば、会話とは単なる情報交換ではない。その人が何を大切にし、どんな世界に生きているかを映し出すものでもある。人は、自分が生きている世界について語る。だとすれば、これからの人生で大切なのは、話題を増やすこと以上に、自分が関わる世界を広げ続けることなのだろう。そして、12年後、76才になったとき。私は、どんな話題を楽しそうに語っているだろうか。その答えは、これからの12年間をどう生きるかにかかっている。

【今日の1日】5時起床。朝ルーティン。朝食。病院-ジム-昼食(とんかつ)。英国年金。夕食。思索。就寝。(一言)ゴルフスイング、左足で踏ん張りながら左腰を引く、手は左手主導で振り下ろし、右手も加勢して振り抜く。 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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