現在vs将来

人間は「現在」と「将来」の間で生きている――将来に備える人生から、今ここを生きる人生へ

人間にとって、「現在」と「将来」の関係は、想像以上に大きな問題なのではないか。最近、そんなことを考えている。振り返ると、私の人生も、長い間「将来」に引っ張られていた。2009〜2018年の10年間を、私は「四正面作戦」と名付けている。親の介護、子どもの教育、夫婦の仕事、そして老後対策。この四つの課題に同時並行で取り組んだ10年間だった。いずれも、現在の努力によって将来の問題を解決しようとする活動である。当時は、それが当然だった。将来に備えることが、現在を生きることの中心になっていた。しかし、2019年以降、少しずつ状況が変わり始めた。箱根に別荘を取得し、2022年には還暦で卒サラ。東京の住まいを全面改装し、不動産投資の借入金も整理した。そして、生活の時間割を自分自身で組み立てるようになった。こうした変化を経て、あることに気づいた。私は、将来に引っ張られ過ぎていたのではないか。

生命体は「今ここ」を生きている

そもそも、生命体が実際に生きているのは、常に「今ここ」である。呼吸する。食べる。歩く。眠る。人と話す。自然に触れる。これらの生命活動は、すべて現在進行形で行われる。一方、人間の思考は、現在という時間を簡単に飛び越える。過去を振り返り、将来を予測する。まだ起きていない出来事を想像し、それに備えて行動する。この能力は、人類の生存と繁栄に大きく貢献してきた。食料を蓄え、住居を整え、子どもを育て、社会制度を構築する。将来を予測する能力がなければ、今日の文明は成立しなかっただろう。しかし、この優れた能力には副作用がある。将来のために現在を犠牲にすることが、際限なく可能になってしまう。ひとつの問題を解決すると、さらに先の問題が見えてくる。老後資金を確保すれば、今度は健康寿命が気になる。健康に備えれば、さらにその先の介護や相続が気になる。将来への備えには、明確な終点がない。

思考と自己意識が将来を増幅する

ここには、思考だけでなく、自己意識も深く関わっている。「将来の自分を守りたい」「家族に迷惑をかけたくない」「これまで築いたものを失いたくない」こうした自己意識が、思考に将来のリスクを探させる。思考はリスクを発見し、対策を考える。そして対策が進むと、さらに新しいリスクを見つける。自己意識と思考が互いを強化しながら、意識を将来へと引っ張っていく。もちろん、これは悪いことばかりではない。私自身、この仕組みによって、仕事を続け、家族を支え、老後への備えを進めることができた。問題は、この仕組みが必要以上に働き続けることである。将来を守るための思考が、現在の人生を支配するようになってしまう。

文明は「将来」を大きくした

考えてみると、文明の発達そのものが、将来への意識を拡大してきたともいえる。農耕は収穫までの時間を計画することを求めた。貨幣は価値を将来へ持ち越すことを可能にした。金融や保険は、将来の不確実性に対応する仕組みを発達させた。教育は、将来の能力形成を目的とする。そして現代の企業社会では、予算、計画、目標、評価など、将来から逆算して現在を運営する仕組みが高度に発達している。サラリーマンとして長く働いた私も、この時間感覚を深く身につけていた。しかし、文明が将来への備えを高度化したからといって、人間の幸福まで自動的に増大するわけではない。むしろ、将来を考える能力が高まるほど、現在を十分に味わうことが難しくなる場合もある。ここに、文明のひとつの逆説があるように思う。

仏教が扱った「苦」との関係

この問題を考えると、仏教にも行き着く。人間は、まだ起きていない将来を心配し、望ましい未来に執着し、変化することを恐れる。つまり、現実にはまだ存在しない出来事によって、現在の自分を苦しめることができる。もちろん、仏教の「苦」は将来への不安だけではない。老い、病、死、別離、欲望など、人間存在の幅広い問題を扱っている。それでも、思考が作り出す将来像と、現在の現実との間に生まれる緊張は、「苦」を理解する重要な手掛かりになるのではないか。将来を考えること自体が問題なのではない。将来についての思考に、現在の自分が過度に支配されることが問題なのだ。

将来を視野に入れながら、今ここを生きる

では、将来のことを考えず、現在だけを楽しめばよいのか。もちろん、そうではない。人間には将来を予測する能力がある。その能力を放棄する必要はない。私自身、現在も年金、資産、健康、家族の将来について考え、必要な準備を続けている。ただし、以前とは意識の重心が違う。かつては、「将来のために、今をどう使うか」と考えていた。現在は、「今を充実させるために、将来をどう見通すか」という方向に変わりつつある。将来への備えをやめたのではない。将来と現在の主従関係を見直したのである。そして、現在と将来は対立するものでもない。現在の行動が将来を変え、将来の見通しが現在の行動を変える。両者は循環している。重要なのは、その循環の中心に、現在の生命活動を置くことなのだろう。

人生後半における時間意識の転換

2009〜2018年の「四正面作戦」は、将来への責任を果たす10年間だった。それに対して、2019〜2028年は、人生の重心を将来から現在へと移す10年間になりそうだ。その過程で、仕事、お金、住まい、身体、人間関係、時間の使い方を組み替えてきた。さらに、思考や自己意識の位置づけまで見直すようになった。以前は、将来の自己を守るために現在の生活を運営していた。今は、現在の生命活動を豊かにするために、思考と自己意識を活用しようとしている。これは、単なる卒サラ後の生活改革ではない。人生における時間の主導権を取り戻す試みなのかもしれない。考えてみれば、将来とは、いつまでたっても到達できない時間である。将来が訪れた瞬間、それは現在になる。私たちは将来のために準備することはできる。しかし、実際に生きることができるのは、いつも現在だけだ。そう考えると、人生後半における重要な課題が見えてくる。将来を見通す能力は維持する。しかし、将来に引っ張られ過ぎない。過去から学び、将来に目配せしながら、「今ここ」の生命活動を充実させる。将来は現在を支配する主人公ではなく、現在を豊かにするための道具である。ようやく、そのことが腑に落ちてきた気がする。

【今日の1日】5時起床。朝ルーティン。朝食。休息。昼食。休息。国立科学博物館(星観察)-夕食(寿司)-買物。就寝。(一言)ゴルフスイング、左足で踏ん張りながら左腰を引く、手は左手主導で振り下ろし、右手も加勢して振り抜く。 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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