はみ出し

人間は「本来の用途」からはみ出して生きている

人は、言語をふたつのことに使っている。ひとつは、他人との交信である。「危ない」「食べ物がある」「明日ここで会おう」。もう一つは、思考である。頭の中で言葉を使い、過去を振り返り、未来を想像し、「自分はどう生きるべきか」などと考える。言語がどのように生まれたのかについては諸説あり、思考と交信のどちらが先だったのかを単純に決めることはできない。ただ、確かなのは、人間が言語という能力を獲得したことで、その用途を驚くほど拡張したことである。そこで、ふと思った。これはセックスと似ているのではないか。

生殖から関係へ

生命体にとって、性の基本的な機能は生殖である。ところが人間は、セックスを生殖だけには使っていない。むしろ現代社会では、生殖を目的としないセックスの方が圧倒的に多いだろう。愛情を確認する。親密さを深める。快楽を得る。夫婦やパートナーとの関係を維持する。生殖という生命体としての機能から出発しながら、人間はそこに「関係」という巨大な意味を付け加えた。子どもをつくらなくてもセックスは成立する。これは考えてみれば不思議なことである。生命体として獲得した機能が、本来の目的を離れて独立した活動になっている。

言語にも同じことが起きた

言語も似ている。他者との情報交換に使うだけなら、必要なことを伝えればそれでよい。ところが人間は、誰とも話していないときにも言葉を使う。「あのとき、こうすればよかった」「来年はどうしよう」「あの人はなぜ、あんなことを言ったのだろう」「自分とは何者なのか」頭の中で、ひとりで延々と会話している。言語は、単なる交信の道具ではなく、世界を頭の中に再現する道具になった。過去を編集し、未来をシミュレーションし、存在しないものを想像する。そこから哲学も科学も文学も宗教も生まれた。そして、おそらく「自分」という巨大な物語も生まれた。

食事も同じだった

そう考えると、似た例はいくらでもある。食事もそうだ。生命体としての基本機能は、栄養を摂取することである。しかし、人間の食事はそこから大きくはみ出した。美味しいものを食べる。家族で食卓を囲む。友人と酒を飲む。誕生日を祝う。料理そのものを楽しむ。食事は栄養摂取から、快楽、文化、社交へと拡張された。人間は、生命維持に必要な「食べる」という機能から、フランス料理も寿司も茶道も生み出してしまった。

人間は「転用する生命体」なのかもしれない

ここに、人間という生命体の大きな特徴があるように思う。進化によって獲得した機能を、そのまま使うだけではない。本来の用途から解放し、別の用途へ転用し、さらに巨大な世界をつくってしまう。生殖は、親密性へ。食事は、文化へ。言語は、思考へ。道具は、技術へ。交換は、貨幣へ。情報は、仮想世界へ。そして今、思考を補助するために生まれたAIも、世界との接続そのものを代理する存在へと拡張し始めている。人間の歴史とは、ある意味で「機能の用途拡張」の歴史なのかもしれない。

問題は、拡張しすぎること

ただし、ここには面白い問題がある。拡張された機能は、ときに元の生命体を圧倒する。食べることが栄養摂取から離れすぎれば、身体を壊すことがある。貨幣が交換手段から離れすぎれば、お金を増やすこと自体が人生の目的になる。情報が世界を知るための手段から離れすぎれば、現実を見るよりスマートフォンを見る時間の方が長くなる。

そして言語による思考も同じなのではないか。本来は、生きることを助けるための機能だったはずだ。ところが人間は、いつの間にか思考そのものを「自分」だと思うようになった。身体は今ここにいるのに、頭は昨日の後悔や明日の不安の中を走り回っている。便利な機能が、生命体の主人になってしまった。

本来用途に戻る必要はない

だからといって、「本来の用途に戻れ」という話ではない。セックスを生殖だけに戻す必要はない。食事を栄養補給だけに戻したら、人生はずいぶん味気ない。言語を情報伝達だけに戻したら、人類の文明そのものが成立しない。人間の面白さは、まさに用途を拡張するところにある。重要なのは、元の機能との関係を見失わないことなのだと思う。食事を楽しみながら、身体を壊さない。お金を活用しながら、お金に人生を支配させない。情報を利用しながら、現実との接触を失わない。思考を存分に使いながら、思考を自分そのものだとは思わない。そしてAIを使いながら、人間までAIのようにならない。

思考も、生命体が獲得した一つの機能

こう考えると、「思考の置き場」が少し見えてくる。思考は素晴らしい。人類の生存確率を大きく高め、文明をつくり、私たちをここまで連れてきた。しかし、それは人間の全部ではない。呼吸があり、身体があり、感情があり、人との関係があり、現実の世界との接触がある。その生命体全体の中に、思考という非常に強力な機能が載っている。人間は、機能を本来用途から解放する生命体である。だからこそ文明をつくることができた。そして、だからこそ時々、「この機能は、そもそも何のためにあったのだろう」と振り返る必要があるのかもしれない。機能を捨てるのではない。機能の置き場を取り戻す。

AIによって思考の能力がさらに大きく拡張されようとしている今、この問いはますます重要になっているように思う。

【今日の1日】5時起床。家事一般。新聞+サイト運営。白湯+オイルうがい+ピラティス。朝食。買物-昼食(寿司)-喫茶-買物-ジム見学-買物。大河ドラマ鑑賞。夕食。阪神タイガース観戦。就寝。(一言) 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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