「仕事+家庭+その他」だった世界が広がってきた
現役時代、自分の生活を大きく分けるなら、仕事+家庭+その他 だったように思う。もちろん実際には、友人もいたし、趣味もあった。旅行もしたし、健康のことも考えていた。しかし感覚としては、圧倒的に「仕事」が大きかった。
仕事が一日の時間を決める。
仕事が人間関係をつくる。
仕事が社会との接点になる。
仕事が収入を生む。
仕事が知的刺激を与える。
仕事が達成感や自分の役割まで与えてくれる。
だから、人生の地図をわざわざ描く必要もなかった。会社員という役割そのものが、人生の簡易地図になっていたのである。
「その他」だったもの
還暦で卒サラして、間もなく4年になる。振り返ってみると、この4年間に起きた大きな変化の一つは、生活の中で「その他」に分類されていたものが、少しずつ独立した領域として見えるようになったことかもしれない。身体。時間。住む場所。家族。友人。運動。食事。健康。お金。情報。知的活動。趣味。自然。旅行。社会や制度との関係。子どもから孫へと続く世代。さらには、自分がいなくなった後の継承まで。
現役時代にも、もちろん全部存在していた。ただ、仕事という巨大な大陸の周辺にある小さな島々のように見えていた。それが卒サラしてみると、一つひとつがかなり大きな領域だったことに気づく。最近、自分の生活を何となく一枚の図にしてみて、そのことを実感した。「その他」だったものに、一つひとつ名前がついてきたのである。
世界が広がったのか、解像度が上がったのか
だから、「卒サラして世界が広がった」と言ってもよい。ただ、少し違う気もする。もともと世界は広かった。自分が見ていなかっただけなのだ。現役時代には、「仕事+家庭+その他」という粗い解像度で世界を見ていた。ところが仕事という巨大なカテゴリーがなくなると、それまで「その他」として一括りにされていたものが見えてくる。世界そのものが広がったというより、世界を見る解像度が上がった。この表現の方が近いかもしれない。
仕事は巨大な「接続装置」だった
考えてみれば、会社という仕組みはすごい。そこへ行けば人に会える。仕事が与えられる。情報が入ってくる。頭を使う。役割がある。成果を求められる。給料が振り込まれる。社会ともつながっている。つまり会社員は、仕事という一本の太い経路を通じて、世界のかなりの部分と接続している。非常に効率的である。しかし裏返せば、世界との接続を仕事にかなり依存しているとも言える。だから退職すると、単に仕事がなくなるだけではない。
人との接触が減る。
身体を動かさなくなる。
情報が入ってこなくなる。
役割がなくなる。
生活のリズムが崩れる。
「会社を辞めただけなのに、なぜか調子が悪い」ということが起こっても不思議ではない。失ったのは仕事だけではなく、仕事に束ねられていた多数の循環だからである。
一本の太い線から、複数の線へ
私自身の卒サラ後の生活を振り返ると、やってきたことは、この接続を一つずつ作り直す作業だったのかもしれない。運動すれば、身体とつながる。料理をすれば、食と生活につながる。箱根にいれば、自然とつながる。東京へ行けば、都市や文化とつながる。友人と会えば、人間関係が動く。家族と過ごせば、世代のつながりを感じる。家計を整理すれば、経済的な安心につながる。本を読んだり文章を書いたりすれば、情報や知性が循環する。旅行をすれば、日常から離れて別の世界と接続する。現役時代のような一本の巨大な線ではない。細いけれど、たくさんの線で世界とつながっている。この違いは大きい。
中心に仕事ではなく「生命体」を置いてみる
そして最近、この大きな地図の中央には「仕事」でも「思考」でもなく、生命体としての自分を置くのが自然ではないかと思うようになった。生命体には身体がある。時間の中で生きている。場所が必要である。人との関係が必要である。食べ、眠り、動き、休み、交流し、考える。その生命体が、社会や制度、文明や自然とさまざまな経路でつながっている。仕事もそのひとつである。現役時代には、そのひとつがあまりにも巨大だったので、仕事が人生そのもののように見えていただけなのかもしれない。
そう考えると、仕事を辞めることは人生の中心を失うことではない。むしろ、仕事によって見えにくくなっていた人生全体を、もう一度発見する機会とも言える。
卒サラとは「その他」を取り戻すこと
卒サラして4年。ようやく、自分の中で何が起きていたのかが少し分かってきた。会社という直線的で強力な構造から降りたあと、身体、時間、空間、関係をひとつずつ整え、世界との接続を作り直してきた。最初からそんな設計図を持っていたわけではない。生活して、試して、違和感を感じ、また調整する。その繰り返しだった。だから時間がかかったのだろう。しかし今振り返ると、それは「仕事のない生活に慣れる期間」だけではなかった。「仕事+家庭+その他」という粗い人生の地図を描き直す期間だった。そして「その他」の中に入っていたものを、一つひとつ取り出してみると、そこには驚くほど豊かな世界があった。身体がある。人がいる。自然がある。知性がある。遊びがある。世代がある。時間がある。そして、それらが互いに循環している。現役時代より世界が広がったように感じる。しかし本当は、世界は昔からこの大きさだったのだろう。
変わったのは世界ではない。自分が持っている地図の方だった。
【今日の1日】5時起床。家事一般。新聞+サイト運営。白湯+オイルうがい+ピラティス。朝食。ゴミ捨て-買物@移動販売-昼食@知人宅。知人の将来について考える。夕食。家族オンラインチャット。阪神タイガース観戦。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
