やりがい・愛・安心

卒サラ後の私は、「人間は何を求めて生きているのだろう」と考えることが増えた。

現役時代の私は、やりがいを求めていたように思う。仕事で成果を出したい。誰かの役に立ちたい。成長したい。そうした思いが日々の原動力だった。

しかし卒サラ後の生活を観察する中で、少し違う景色が見えてきた。どうやら、人間は最初からやりがいを求めて生きているわけではないらしい。

私は本書の中で、人間を三つのOSで考えている。進化OS、関係OS、文明OSである。

進化OSは生命体としての私たちを支えている。そこが求めているのは「安心」である。

関係OSは人と人とのつながりを扱う。そこから生まれるのが「愛」や「信頼」である。

そして文明OSは仕事や社会活動を担う。そこが求めているのは「やりがい」や「成果」である。

現代社会では、やりがいが最上位に置かれやすい。好きな仕事を見つけよう。やりがいを持とう。自己実現しよう。確かにそれは大切なことである。

しかし卒サラ後の私は、順番が逆だったことに気づいた。

やりがいは出発点ではなく、結果だったのである。

生活が整う。
身体が落ち着く。
安心感が育つ。

すると人とのつながりを求める気持ちが自然に生まれる。

家族と話したくなる。
友人に会いたくなる。
誰かと何かを共有したくなる。

そこから愛や信頼が育っていく。

そして安心とつながりの土台ができた時、不思議なことに「何かやってみたい」が自然に立ち上がってくる。

作りたい。
学びたい。
伝えたい。
役に立ちたい。

その結果として現れるのが、やりがいなのである。

振り返れば、私は長い間、やりがいの中に安心を探していた。

成果を出せば安心できる。
評価されれば安心できる。
収入が増えれば安心できる。

そう考えていた。

しかし実際には、成果がもたらすのは主に安全性の向上だった。

本当に求めていた安心は、生活の中にあった。

睡眠を整えること。
身体を動かすこと。
自然に触れること。
信頼できる人と過ごすこと。

そうした土台の上に愛が生まれ、その先にやりがいが育っていく。

今の私は、こんなふうに考えている。

やりがいは文明の言葉である。愛は関係の言葉である。安心は生命体の言葉である。

そして人間は、安心から愛へ、愛からやりがいへと自然に流れていくよう設計されているのかもしれない。

【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。執筆。知人とランチ@日比谷―区役所―お墓@赤坂見附―買物。夕食。執筆。就寝。(一言) 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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