頭は未来へ、身体は今ここ。なぜ私たちは「状態」を後回しにしてしまうのか。
卒サラ後の私は、不思議なことに気づいた。睡眠も大切だと知っている。運動も大切だと知っている。自然が心を整えることも知っている。人とのつながりが大切なことも知っている。それなのに、私たちはそれらを後回しにしてしまう。なぜだろうか。
私は長い間、その理由が分からなかった。しかし最近になって、ひとつの補助線が見えてきた。それは、「頭は未来へ、身体は今」という補助線である。人間の頭、つまり顕在意識は、未来を扱うことができる。来月の予定。老後の資金。仕事の評価。子どもの将来。世界情勢。頭は自由に未来へ飛んでいく。これは人類が獲得した素晴らしい能力である。もし未来を予測できなければ、農業も都市も科学も文明も存在しなかっただろう。
しかし身体は違う。身体が感じているのは、いつも「今ここ」である。眠い。疲れた。お腹が空いた。安心している。不安だ。自然の中にいたい。身体は未来を生きることができない。身体は常に現在を生きている。
問題はここからである。現代社会では、頭ばかりが未来へ飛び続けている。仕事。収入。評価。資産。老後。もちろんそれらは大切だ。しかし頭が未来へ行けば行くほど、身体との距離は広がっていく。身体が発する「今ここ」の情報が聞こえにくくなるのである。例えば身体がこう言っている。「疲れています」すると頭は答える。「そんなことより来月の会議だ」身体が言う。「休みたいです」頭は答える。「そんなことより成果だ」身体が言う。「不安です」頭は答える。「もっと成果を出せば安心できる」こうして身体の声は後回しになる。
私は以前、「なぜ現代人は状態を軽視するのだろう」と思っていた。しかし今は少し違う。状態を軽視しているのではない。状態が見えなくなっているのである。頭が未来へ行き過ぎているからだ。振り返ると、私自身もそうだった。現役時代の私は、次の仕事、次の評価、次の異動、次の目標を考えていた。しかし卒サラ後、生活を観察する中で気づいた。調子が良い日は、無理をしている日ではなかった。よく眠れた日だった。自然に触れた日だった。安心感があった日だった。つまり、行動の前に状態があったのである。そう考えると、なぜヨガが効くのか。なぜ散歩が効くのか。なぜ自然が効くのか。なぜ夫婦の会話が効くのか。なぜ睡眠が効くのか。その理由も見えてくる。
それらはすべて、未来へ飛び続ける頭を、今ここにいる身体へ戻す行為だからである。私たちは未来を見る能力を手に入れた。そのおかげで文明は発展した。しかしその一方で、身体との時差も大きくなった。だから現代人に必要なのは、未来を見る能力を捨てることではない。頭を止めることでもない。未来を見る頭と、今を生きる身体を、もう一度つなぎ直すことなのだと思う。そしてその作業こそが、睡眠であり、散歩であり、ヨガであり、自然であり、人とのつながりであり、私が「生活OS」と呼んでいるものなのかもしれない。
最近の私はこう考えている。人間は意志で動いているのではない。まず状態があり、その状態から自然に意欲が立ち上がる。そして、その状態を見失わせている最大の要因のひとつが、「頭は未来へ、身体は今」という時差なのではないだろうか。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。料理。朝食。執筆。料理。昼食。執筆。買物。料理。夕食。執筆。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
