なぜ最近、すべてがネタになるのか。最近、自分でも不思議な状態になっている。何を見てもブログのネタになるのである。朝ヨガを休んだ。ネタになる。農園の記憶を思い出した。ネタになる。箱根のフランス人を観察した。ネタになる。妻との会話。ネタになる。阪神戦。相撲。大河ドラマ。AIとの対話。全部ネタになる。
最初は、「知的創造力爆発期だからだろう」と思っていた。しかし最近は少し違う気がしている。ネタが増えたのではない。むしろテーマが減ったのである。以前の私は、夫婦は夫婦の話。健康は健康の話。人類史は人類史の話。農業は農業の話。スポーツはスポーツの話。それぞれ別の引き出しに入れていた。ところが最近は違う。どこから考えても、同じ場所へ戻ってくる。
農業を考える。生活OSになる。生活OSを考える。自己意識の境界になる。夫婦を考える。共同体になる。共同体を考える。自己意識になる。AIとの対話を考える。潜在意識になる。潜在意識を考える。再び自己意識へ戻る。結局、同じ山を違う登山道から登っているのである。だから何を見てもネタになる。
いや、正確には違う。何を見ても、同じ構造が見えるのである。最近、「思考は作るものではなく、現れるものではないか」という感覚を持つようになった。
以前は、頑張って考えていた。無理やり結論を作ろうとしていた。しかし今は少し違う。散歩をする。会話をする。本を読む。朝ぼんやりする。すると、何かが立ち上がってくる。その後で言葉がついてくる。まるで畑から芽が出てくるような感覚である。
だから最近の私は少し困っている。何を見てもネタになるからだ。しかし同時に、少し安心もしている。本当に重要なものは、何度も戻ってくることが分かってきたからである。農園で何度も聞いた。「土づくりが大事です」という言葉もそうだった。数年以上経ってから人生論として戻ってきた。2020年に箱根で感じた違和感もそうだった。6年かけて熟成し、今になって自己意識や生活OSという形で戻ってきた。
だから最近は思う。すべてを捕まえなくてもいいのかもしれない。本当に重要なものは、また戻ってくる。それよりも大切なのは、土を耕し続けることなのだろう。朝ヨガ。睡眠。散歩。夫婦の時間。余白。そうした土づくりの先に、また新しい芽が出てくる。最近の私は、そんな人生の面白さを味わっている。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。執筆。昼食。執筆。買物。料理。夕食。阪神タイガース観戦。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
