昼寝と酒

シンガポールから帰国して2ヶ月間が経過。まだ身体の中に、向こうで暮らしていたときの感覚が残っている。今回の滞在ではよく歩いた。6日間で10万歩。一日に2万歩近く歩いた日もあった。日本にいると8000歩歩くにも少し頑張る感じがあるのに、シンガポールでは不思議なくらい身体が動いた。帰国してから、その違いは何だったのだろうと考えている。ひとつ、かなりはっきりした感覚がある。シンガポールでは、覚醒している間のエネルギーレベルが比較的一定だった。朝起きる。外へ出る。歩く。地下鉄に乗る。街を見る。モールへ入る。また歩く。もちろん疲れる。しかし、「朝は元気だったが、午後になるにつれてエネルギーが落ちていく」という感じがあまりなかった。覚醒している間は、比較的同じテンションで動き続けていた。その代わり、眠くなると寝た。今回特に印象的だったのが昼寝である。午前中にかなり歩いて帰宅する。昼食をとる。そして昼寝をする。この昼寝が深い。意識がストンと落ちる。そして目覚めると、また動ける。夕方から買い物に出たり、散歩したり、食事に出たりする。一日が、午前の活動 → 昼寝 → 夕方の活動という二峰性になっていた。最初は、この深い昼寝が一日の「アクセント」なのだと思っていた。しかし帰国してから考えていると、少し違うような気がしてきた。アクセントというより、睡眠が覚醒と覚醒の境界になっていたのかもしれない。シンガポールでの身体は、覚醒=ON、睡眠=OFF・充電、覚醒=再びONという、かなり単純な動きをしていたように思う。覚醒している間に、気分転換のために何か特別な刺激を入れる必要があまりなかった。

ここで東京での生活を考えてみる。東京では、夕刻のアルコールが一日のアクセントになっていることがある。夕方になる。一日の活動が終わりに近づく。酒を飲む。少し気分が変わる。身体が緩む。そして夜へ入っていく。つまり、覚醒 → アルコールによる状態変化 → 夜である。一方、シンガポールでは、覚醒 → 睡眠 → 覚醒だった。

この違いは意外に大きいのではないか。実際、今回のシンガポール滞在では、アルコールへの欲求がかなり弱かった。最初は、暑さのせいなのか、食生活の違いなのか、単なる気分なのかと思っていた。しかし、もしかすると私はアルコールそのものを求めているのではないのかもしれない。「状態が変わること」を求めているのではないか。そう考えると腑に落ちる。人間は朝から晩まで同じ状態ではいられない。どこかで区切りが欲しくなる。緊張から弛緩へ。活動から休息へ。外向きから内向きへ。東京では、その切り替え装置のひとつをアルコールが担っている。

ところがシンガポールでは、身体をよく動かした。疲れた。眠くなった。深く眠った。そして再び起きた。身体そのものが、自然に状態を切り替えてくれた。だからアルコールという外部からの刺激を使って、状態を変える必要が小さかったのかもしれない。

もうひおつ気になるのが気候である。シンガポールでは、一年を通じて気温の変化が小さい。一日の中でも、日本ほど大きく気温が上下しない。もちろん屋外は暑く、屋内は冷房が効いている。それでも日本のように、朝晩、季節、衣服、暖房、冷房と、身体が環境変化へ細かく対応し続ける感じとは違う。今回の私には、外部環境の基調がずっと一定しているように感じられた。もしかすると、そのことも覚醒中のエネルギーの安定に関係しているのかもしれない。

もちろん、一週間程度の滞在から一般化することはできない。旅行による高揚もあっただろう。新しい街を見る刺激もあった。普段よりよく歩いたことも大きい。だからこれは、あくまで自分の身体についての仮説である。しかし、生活を考えるうえでは面白い材料になった。私はこれまで、「何をするか」を考えることが多かった。運動する。散歩する。昼寝する。酒を飲む。早く寝る。しかし最近は、それよりも、「その結果、どんな状態になるのか」を見るようになってきた。すると生活の見え方が少し変わる。昼寝も酒も、行為として比較するだけならまったく別物である。しかし「状態を切り替える」という機能から見ると、同じ地図の上に置くことができる。さらに一歩進めれば、良い生活とは、良い行動をたくさんすることではなく、身体の状態が自然に整う環境を作ることなのではないか。そんなことまで考える。

意志で「今日は2万歩歩こう」と自分を動かす。意志で「酒を控えよう」と我慢する。意志で「昼寝しよう」と決める。そうではなく、歩きたくなる街にいる。歩けば自然に疲れる。疲れれば自然に眠る。眠ればまた自然に動きたくなる。その結果、酒を使って状態を変える必要も小さくなる。これは最近考えている、「意志で動かす」から「状態を作る」へという話そのものなのかもしれない。そしてさらに言えば、状態を作るより、状態が自然に生まれる環境を選ぶ。そのほうが生命体としては、もっと自然なのだろう。今回のシンガポール滞在は観光旅行ではなかった。長男宅で暮らし、歩き、食べ、眠るという日常生活の実験だった。だから名所の記憶以上に、こういう身体の記憶が残っている。覚醒している間は動く。疲れたら眠る。起きたら、また動く。ずいぶん単純である。しかし、この単純さこそ、人間という生命体の本来の生活に近いのかもしれない。東京では、夕刻になると酒が一日のアクセントになる。シンガポールでは、深い昼寝が一日の境界になっていた。この違いを、しばらく自分の身体で観察してみたい。私が本当に欲しいのは酒なのか。それとも、ただ、身体が自然に次の状態へ移るための「境界」が欲しいだけなのか。生活OSを考えるうえで、また一つ面白い観察材料が増えた。

【今日の1日】5時起床。朝ルーティン。朝食。隣人と定例ゴルフ(含む昼食)。夕食。Line。ルンバ。就寝。(一言)ゴルフスイング、左足で踏ん張りながら左腰を引く、手は左手主導で振り下ろし、右手も加勢して振り抜く。 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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