人は結局、納得感を求めている? 納得⇔安心?
どれだけ正しい論理や、物質的な豊かさ、客観的な成功を並べられても、自分自身の内側で「これでいい」と思えなければ、心は常にザワつき、満たされない。なぜ人がここまで納得感を求めるのか。
・「正しさ(認知)」と「心地よさ(身体・直感)」の統合。脳(認知)だけで考えた「正しい選択」や「合理的な損得」は、必ずしも腹落ちするとは限らない。頭では理解できるが、心がついてこない状態(納得感がない)。理由はうまく説明できないけれど、身体がスッと腑に落ちる状態(納得感がある)。納得感とは、頭でこねくり回した理屈(認知)と、身体や直感が発する「快・不快」のサインがピタリと一致したときに生まれる、極めて身体的な感覚。人が本当に動けるのは、頭が納得したときではなく、腹が据わった(=身体が納得した)とき。
・「不確実性」というストレスからの解放。現代社会は、情報が溢れ、選択肢が多すぎる「過剰な文明」。何が正解か分からない不確実な世界において、人は常に認知的なエネルギーを消耗。「これで間違っていないだろうか」という不安を打ち消し、「自分は今、これでいいのだ」と心に区切り(=一時的な定着点)をつけるために、私たちは納得感を必要とする。一種の精神的な安全弁(セーフティネット)のようなもの。
・自己決定感(物語)の担保。他人に決められた「正解」を歩まされているうちは、たとえ結果が良くても本当の納得感は得られない。逆に、たとえ結果が失敗に終わったとしても、「自分が選び、自分が引き受けた」というプロセスがあれば、人は不思議と納得できる。納得感とは、自分の人生の主導権を自分自身が握っているという強烈な実感(自己決定感)そのもの。
結局、外側の世界(社会の評価、他人の目、効率性)にどれだけ適応しても、内側の世界(自分自身の生命としての感覚)が「Yes」と言わなければ、人間は幸福を感じられないようにできている。他人の作ったOS(評価基準)で生きるのをやめ、自分自身のOSに立ち返ったときに初めて、純度の高い「納得感」が得られる。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。長男宅-空港-朝食-買物-搭乗-昼食-空港-新中野。日常生活セットアップ。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
