阪神を見なくなった日

私は阪神ファンである。子どもの頃から阪神を応援し、勝てば嬉しく、負ければ悔しかった。試合結果は翌日の気分にも少なからず影響していた。

ところが最近、ふと気づいた。以前ほどテレビで試合を見なくなったのである。もちろん結果は気になる。しかし、昔のように試合開始から終了まで夢中になることは少なくなった。

最初は、「年齢のせいだろうか」と思った。しかし、どうも違うようである。私の興味の重心そのものが変わったのだ。

卒サラ後の私は、人間という生命体の設計思想を考え続けてきた。生活を観察し、人と対話し、本を読み、AIと議論を重ねる。その中から新しい概念が生まれ、文章になり、一冊の本へと育っていく。

気がつけば、私の毎日は「今日は何が発見できるだろう」「今日はどんな言葉が生まれるだろう」という期待で始まるようになっていた。

阪神戦を見ることは、誰かの創造を楽しむ時間である。一方、執筆は、自分自身が創造する時間である。もちろん、どちらにも価値がある。しかし今の私にとっては、創造する喜びのほうが大きくなっているのだろう。

もうひとつ気づいたことがある。野球は勝敗の世界である。勝てば喜び、負ければ落ち込む。その感情の揺れも、スポーツ観戦の醍醐味である。しかし最近の私は、「心穏やかな状態」を以前より大切にするようになった。

生活を整え、身体を整え、安心を土台に創造する。そのような毎日を心地よいと感じるようになった今、勝敗に感情を大きく揺さぶられる時間を自然と求めなくなったのかもしれない。

阪神への愛情がなくなったわけではない。ただ、自分の生命体が求める報酬が変わったのである。応援する喜びから、創造する喜びへ。これは趣味が変わったという話ではない。人生の重心が移ったということなのだろう。

人は年齢を重ねると、何かを失うだけではない。もっと面白いものに出会うことで、それまで夢中だったものとの距離が自然に変わることもある。私にとって、それは「創造」であった。そして、そう考えると、阪神を見なくなったことさえ、自分という生命体の変化を教えてくれる一枚の「鏡」だったのである。

【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。ルンバ清掃。昼食。昼寝。執筆。夫婦会食@池袋。就寝。(一言) 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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