創造力→文明

創造力が文明をつくり、生命体としての人間を見えにくくした。

「強いものが生き残るのではない。変化に適応したものが生き残る。」ダーウィンの進化論を象徴するこの言葉は、まさにホモ・サピエンスの歩みを表しているように思う。環境が変われば、生き方も変える。昨日までの正解にしがみつかず、観察し、試し、工夫し、創造する。この柔軟さこそが、ホモ・サピエンス最大の強みだった。

約20万年前、気候変動の激しいアフリカで生き延びるには、力や速さだけでは足りなかった。変化を読み取り、新しい方法を生み出す創造力こそが、生存確率を高めたのである。その創造力は実にパワフルだった。

石器を生み、火を使い、言語を発達させ、農耕を始め、都市を築き、科学を生み、文明を発展させた。私たちは創造することで、この地球上でも特異な存在になった。しかし、その成功にはもう一つの側面があった。

創造した文明があまりにも巨大になったため、人間は文明を維持し、発展させることに多くの時間と意識を向けるようになったのである。その結果、私たちは「文明を生きる人間」としては豊かになった一方で、「生命体としての人間」を観察する機会は少なくなっていった。睡眠、呼吸、身体、自然、つながり、安心感。本来、生きる土台だったものが背景へ退き、成果や効率や情報が前景へ出てきた。

文明が悪いわけではない。むしろ文明は、人間の創造力が生み出した偉大な成果である。問題は、その成功ゆえに、創造の出発点だった「生命体としての自分」が見えにくくなってしまったことではないだろうか。だから私は、卒サラ後の数年間、「生活」を観察することから始めた。生活とは、生命体としての人間が毎日を生きる現場である。そこを丁寧に観察していくと、人間の設計思想が少しずつ見えてきた。

安心すると、余裕が生まれる。余裕が生まれると、好奇心が動き出す。そして、人は自然に観察し、試し、工夫し、創造を始める。振り返れば、これは20万年前から続くホモ・サピエンスの本業そのものだった。

AIという新しい環境変化の時代だからこそ、私たちはもう一度、自分という生命体に目を向けてもよいのかもしれない。文明を創った創造力を、今度は「人間そのもの」を理解するために使う。それが、次の時代の創造なのではないかと思っている。

【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。執筆。昼食。執筆。2人宴席@日本橋。就寝。(一言) 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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