「顕在意識は意識全体の10%にも満たない。」「顕在意識はいつも後付けで理由を説明している。」脳科学や心理学の本を読むと、この二つの言葉をよく目にする。しかし、その二つがどのようにつながっているのかについては、あまり語られていないように思う。
最近になって、私の中でようやく一本の線につながった。
一冊目で私が描いているのは、「顕在意識は10%未満」の中身である。では、残りの90%とは何なのか。
身体。
安心感。
生活のリズム。
人とのつながり。
自然との関係。
そして、整った状態から自然に立ち上がる意欲である。
私はこれらを「生活OS」という言葉で整理し、人間という生命体の設計思想として描いてきた。
一方、二冊目で描きたいのは、「顕在意識は後付け」という言葉の意味である。人間は本当に「思考」によって生きているのだろうか。
人類は約600万年にわたり、まず世界を観察してきた。その後、言語を獲得し、その観察を編集し、未来を予測し、文明を築いてきた。つまり、本来の思考とは、観察を編集する補助機能だったのではないか。
ところが文明が発達するにつれて、その編集者がいつの間にか著者になってしまった。AIの登場は、その役割をもう一度見直す好機であるように思う。AIが編集を担うほど、人間は再び観察へ戻ることができるのかもしれない。
こうして見てみると、「顕在意識は10%未満」と「顕在意識は後付け」は、まったく別の話ではない。どちらも、「顕在意識は主人公ではない」というひとつの事実を、異なる角度から語っているのである。
一冊目は生命体から人間を見る物語である。二冊目は思考から人間を見る物語である。同じ山を反対側から登っているようなものなのかもしれない。
本を書き始めた頃には、このような構想はまったくなかった。一冊目を書き終えようとしている今、その向こうに自然と二冊目が立ち上がってきたのである。無理に考えたわけではない。一冊目という実りを収穫しようとしたとき、その土の中から次の芽が自然と顔を出してきた。
振り返れば、それもまた、本書で描いてきた「整った状態から自然に立ち上がる」という人間の設計思想、そのものだったのである。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。執筆。昼食。執筆。料理。東京体育館-10人宴席@千駄ヶ谷。就寝。(一言)
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