「波だけで生きることへの違和感」――箱根・ジョブ型・自己意識が一本につながった。最近、自分の中で、長年バラバラだった感覚が一本につながるような体験があった。
その中心にあったのは、「人間は自然の一部でありながら、偶然にも強い自己意識を持ってしまった存在」という感覚である。実は、この言葉自体は、2020年1月、箱根に住み始めた頃にふと思い浮かんでいた。
しかし今振り返ると、あんな大きなテーマを、突然思いつけるはずがない。あれは「発明」ではなく、「浮上」だったのだと思う。つまり、潜在意識側では、もっと前から何かを感じ続けていたのである。
その根底には、「波だけで生きることへの違和感」があったのかもしれない。私は長く会社員として生きてきた。もちろん、その世界にも良い面は沢山ある。しかし特に2010年代後半、「ジョブ型」への流れが強まる中で、ある種の変化を感じていた。
ジョブ型では、個別評価、成果、役割の明確化、自己責任、交換可能性が強くなる。それは合理的で、現代的で、文明OS的には正しい。しかし一方で、私はその中に、「波だけで生きる感覚」を感じ始めていた。
常に成果を出す。
説明する。
比較される。
役割を果たす。
評価される。
つまり、「個」として強く立ち続けることが求められる。もちろん、それによって文明は発展した。現代社会は、その強い自己意識の上に成り立っている。しかし同時に、人間は疲れていく。だから逆に、私はジョブ型社会を見た時に、コミュニティ型組織が持っていた価値にも気づき始めた。もちろん、昔のコミュニティ型には、同調圧力、非合理、閉鎖性という負の側面もあった。しかし一方で、長期関係、文脈共有、安心感「名札」が不要な関係、「同じ時空」を生きる感覚もあったのである。今振り返ると、それは「海」の感覚だったのかもしれない。
そして2020年、箱根での生活が始まった。
自然。
静けさ。
通勤の消失。
情報量の減少。
妻との長時間共有。
時間の流れの変化。
その中で、私は少しずつ、「波」の緊張から降り始めていた。すると、潜在意識側から、あの言葉が浮かび上がってきた。
「人間は自然の一部でありながら、偶然にも強い自己意識を持ってしまった存在」
人間は、本来は自然の流れの中にいた。しかし進化の過程で、自分を客観視し、未来を想像し、死を予測し、「自分」という境界を強く意識できる脳を持ってしまった。その結果、人類は文明を築いた。
しかし同時に、
比較
不安
孤独
承認欲求
死の恐怖
も抱えるようになった。つまり、人間は「波」を強く認識し過ぎる存在になったのである。卒サラ後の数年間、私は、
睡眠
朝ヨガ
空間づくり
二拠点生活
夫婦時間
情報量調整
などを通じて、無意識に「海」を取り戻そうとしていたのかもしれない。そして最近になって、
人類史
自己意識
宗教
夫婦
娯楽
推し
阪神
相撲
大河ドラマ
死生観
が、一気に全部一本につながり始めた。人間は、「波」として生きるしかない。しかし同時に、人はずっと「海」を求め続けてきた。
祭り。
共同体。
宗教。
芸術。
愛。
自然。
安心。
一体感。
それらは全部、「波しか見えなくなった人間」が、「海」を思い出すための営みだったのかもしれない。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。執筆。昼食。執筆。買物。夕食。執筆。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
