人生後半は「作物づくり」から「土づくり」へ
40平米の小さな農園を4年半借りていたことがある。その間、農業インストラクターから繰り返し聞かされた言葉があった。「土づくりが大事です」である。当時の私は、頭では理解していた。しかし正直なところ、どこかで「作物を育てること」の方に関心が向いていた。何を植えるか。どれだけ収穫できるか。今年はうまくいくか。そんなことばかり考えていたように思う。しかし農業を続けていると、少しずつ分かってくる。同じ苗を植えても結果が違う。同じ種を蒔いても育ち方が違う。結局、土が違うのである。
土が豊かなら、作物は自然に育つ。土が痩せていれば、どれだけ頑張っても限界がある。農業とは、作物づくりである前に、土づくりなのだ。最近になって、この言葉が人生そのものの話だったことに気づいた。
現役時代の私は、作物を追いかけて生きていた。成果。評価。昇進。収入。資格。資産。もちろん、それらは大切である。私自身も、その世界で長く生きてきた。
しかし卒サラ後、少しずつ別のことが見えてきた。人間にも「土」があるのではないか。身体。睡眠。時間の使い方。住む空間。人との関係。安心感。余白。私はこれらを「生活OS」と呼んでいる。
現代社会では、どうしても成果や行動に目が向く。私もそうだった。しかし振り返ると、創造性も、意欲も、幸福感も、その土壌の上に生まれている。
最近は本の執筆が面白くて仕方がない。自己意識。境界。波と海。余白。さまざまな着想が次々とつながっていく。しかし冷静に考えると、それは今日突然生まれたものではない。睡眠。朝ヨガ。散歩。箱根での暮らし。妻との会話。そうした生活OSが長い時間をかけて育ててきた土壌から芽吹いたものなのだろう。
農業インストラクターは言っていた。「土づくりが大事です。」私はその言葉を農業の話として聞いていた。しかし還暦を過ぎた今、ようやく腑に落ちた。人生も同じだったのである。文明OSは作物を見る。生活OSは土を見る。人生後半は、作物づくりから土づくりへ。そんな生き方もあるのかもしれない。
(まとめ)農業をしていて気づいた。作物だけを見ていては駄目だった。土が大切だった。そして卒サラ後、もう一つ気づいた。人生も同じだったのである。私は長い間、作物だけを自分だと思っていた。しかし本当は、土もまた自分だったのだ。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。執筆。昼食。庭整備。知人宅-ゴミ捨て。夕食。Line交信多数。執筆。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
