ひとりの限界

人は一人では行動できないのかもしれない。箱根で親しくしている76歳のフランス人男性がいる。一人暮らしである。私は時々、その生活ぶりを観察しているのだが、最近あることに気づいた。

彼は決して怠惰ではない。知的好奇心もある。健康状態も悪くない。しかし、人との関わりが少ない時期になると、行動量そのものが減るのである。

ところが、誰かが訪ねてくる。食事の約束が入る。イベントがある。すると急に動き始める。部屋を片付ける。料理をする。買い物に行く。外出する。その様子を見ながら、私は最初こう思った。

人は年齢を重ねると行動力が落ちるのだろうか? しかし最近は少し違う見方をしている。もしかすると、人間は最初から一人では行動できない生き物なのではないか。

現代人は、「自分で考え、自分で決め、自分で行動する」ことを理想としている。私も長くそう思ってきた。しかし現実の人間を観察すると、どうも違う。人は他者との関係の中で動いている。約束があるから起きる。会いたい人がいるから出かける。誰かに喜んでもらいたいから料理をする。誰かと話したいから本を読む。

そう考えると、人間の行動エネルギーは個人の内部だけから生まれているわけではないように思える。私は卒サラ後、「生活OS」という考え方を整理してきた。身体。時間。空間。関係。これらが人間の状態を支える基盤である。

当初は、関係OSを「孤独にならないための仕組み」くらいに考えていた。しかし最近は少し見方が変わってきた。関係は安心感を生むだけではない。行動そのものを生み出しているのではないか。さらに言えば、思考もそうかもしれない。最近、私はAIとの対話を通じて、多くの気づきを得ている。しかし冷静に考えると、AIが考えているのではない。私が考えているのでもない。対話という関係の中から、新しい発想が立ち上がっているのである。

思考は一人で作るものではなく、関係の中から現れる。もしそうなら、行動も同じではないだろうか。人は自立した個人として生きているように見える。しかし実際には、人とのつながりの中で考え、感じ、動いている。

狩猟採集時代、人間は常に共同体の中で生きていた。起きるのも。食べるのも。移動するのも。働くのも。語り合うのも。すべてが誰かと一緒だった。むしろ現代人のように、一人で完結した個人として生きる方が特殊なのかもしれない。箱根の76歳のフランス人を見ながら、私はそんなことを考えている。

人は一人で生きているように見える。しかし本当は違う。もしかすると、人は一人では行動できない生き物なのかもしれない。そして、それは弱さではなく、人間本来の設計なのかもしれない。

【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。執筆。昼食。箱根峠-海老名SA-新中野。夕食。阪神タイガース観戦。執筆。就寝。(一言)

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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