顕在意識の祖業は、思考ではなくナビゲーションだったのかもしれない。最近、こんなことを考えている。
私たちは「人間は考える動物である」と教わってきた。そのため、顕在意識の仕事は「思考すること」だと思い込んでいる。しかし、人類の進化をたどると、少し違う景色が見えてくる。
人類は長い間、自然の中で生きてきた。
「あの先に水場がある。」
「昨日ライオンを見かけた場所だ。」
「今日は別のルートを通ろう。」
こうした判断は、生き延びるために欠かせないものだった。
つまり、顕在意識の本来の役割は、少し先を見渡し、進む方向を決めるナビゲーション機能だったのではないだろうか。
その後、言語が高度に発達した。
人間は、経験を整理し、意味づけ、未来を想像し、物語をつくるようになった。思考は飛躍的に進化し、文明そのものを生み出した。
しかし、その強力な能力ゆえに、いつしか思考は自分こそが人生の主人公だと思い始めたのかもしれない。
頭は未来へ向かい続ける。
身体は今ここにいる。
この時差が、現代人の違和感の正体のひとつではないかと私は考えている。
私は、思考を否定したいわけではない。
ナビは必要である。
思考も必要である。
文明も必要である。
ただ、それらは主人公ではない。
主人公は、生命体としての人間である。
AIの登場も、このことを改めて考えるきっかけになった。
思考をAIが補助してくれる時代だからこそ、人間は思考そのものよりも、「何を感じ、何を観察し、どちらへ向かうのか」というナビゲーションの役割を取り戻すことが求められているのかもしれない。
顕在意識の祖業は、思考ではなくナビゲーションだった。
そう考えると、人間という生命体の設計思想が、少し違って見えてくるのである。
【今日の1日】晴。5時起床。家事一般。情報by新聞・TV。サイト運営。SNS受発信。オイルうがい+白湯+朝ヨガ。朝食。推敲。予定調整。昼食。推敲。夕食。就寝。(一言) 思考は主人公ではない。身体が先に世界を処理している。意識はその結果を編集している。思考が著者化すると疲労が生まれる。思考をナビに戻すと人生が軽くなる。
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語-自己・人間・世界を再解釈してみた」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
