健康

健康は「基盤」なのか――4つの生活OSと3つの基盤をもう一度考える

最近、自分の生活を「4つの生活OS+3つの基盤」という形で整理している。4つの生活OSとは、身体・時間・空間・関係。そして、それを長期的に支える3つの基盤が、経済・情報知性・継承。かなり収まりがよくなってきたと思っていた。ところが、ふと疑問が湧いた。健康は基盤ではないのか? 確かに健康は大事だ。むしろ、人生後半になればなるほど、お金以上に重要な基盤と言ってもよさそうだ。では、「3つの基盤」に健康を加えて「4つの基盤」にした方がよいのだろうか。考えてみると、どうも違う。健康は、経済や情報や継承とは、少し種類が違うのである。

身体OSと健康は同じではない

まず、「身体OS」と「健康」を分けて考える必要がある。身体OSとは、身体を日々どう運営するかという仕組みだ。食べる。眠る。歩く。運動する。休む。医療を利用する。こうした日常の循環が身体OSである。一方、健康はその運営によって現れる「状態」だ。これは車にたとえるとわかりやすい。エンジンを動かし、燃料を入れ、オイルを交換し、定期的に整備する。これは運営の仕組みである。その結果として、「今日も調子よく走れる」という状態がある。人間も同じではないか。身体OSは運営であり、健康は状態である。そう考えると、健康を身体OSと並べる必要はない。では、健康はどこに置けばよいのか。

健康は「安心」と同じ場所にある

ここで思い出したのが、これまで何度も考えてきた「安心」である。私は以前、安心を経済基盤のようなものとして考えかけたことがあった。しかし、お金が十分にあれば安心できるとは限らない。人間関係が荒れていれば不安になる。身体に異変があれば不安になる。生活リズムが崩れても落ち着かない。つまり安心も、何かひとつの基盤ではない。さまざまな条件が組み合わさった結果、生命体の側に現れる「状態」である。そう考えると、健康と安心はよく似ている。健康は、生命体の身体的な基礎状態。安心は、生命体の心理・神経系的な基礎状態。どちらも生活を支える外部的な基盤というより、生命体そのものの状態なのである。ここで全体の構造が少し見えてきた。

生命体→状態→生活OS

一番下にあるのは「生命体」である。人間はまず、生き物として存在している。心臓が動き、呼吸し、食べ、眠り、体温を維持し、外界の変化に反応する。そこに、健康や安心という基礎状態がある。そして、その状態を日々維持し、調整するために、身体・時間・空間・関係という4つの生活OSが動いている。さらに、その生活を何年、何十年と持続可能なものにするために、経済・情報知性・継承という3つの基盤がある。こう考えると、役割がかなり明確になる。健康・安心は「状態」。4つのOSは「日々の運営」。3つの基盤は「長期的な持続条件」。なのである。

「健康第一」の意味も少し変わる

昔から「健康第一」と言われる。もちろんその通りなのだが、この言葉を「健康という資産を守る」と考えると、どこか静的な感じがする。むしろ健康とは、日々作り続ける動的な状態なのではないか。よく眠る。身体を動かす。食べすぎない。疲れたら休む。人と話す。自然に触れる。生活リズムを整える。必要なら医療を利用する。こうした小さな循環が重なった結果として、今日の健康状態が生まれる。

安心も同じだ。十分なお金を持てば完成するわけではない。落ち着ける空間があり、生活に一定のリズムがあり、信頼できる人との関係があり、先々への最低限の見通しがある。そうした複数の循環の中から、安心という状態が生まれてくる。つまり、健康も安心も「所有するもの」ではなく、「循環の中から生まれる状態」なのだ。

すると「状態ファースト」がもう一段深くなる

私はこれまで、「人は意志よりも状態によって動く」と考えてきた。疲れていれば意欲は出ない。不安が強ければ視野は狭くなる。身体が軽く、心が落ち着いていれば、自然に外へ向かう力が出てくる。だから「状態ファースト」。しかし今回の整理によって、その「状態」がどこから生まれるのかも少し見えてきた。

生命体がある。生命体は世界と接しながら、身体・時間・空間・関係という4つのOSを回している。それを経済・情報知性・継承という3つの基盤が長期的に支えている。その全体的な循環の中から、健康や安心という状態が現れる。そして、その状態から意欲が生まれ、行動が生まれ、結果が生まれる。順番は、成果→安心ではなかった。むしろ、生命体→生活の循環→健康・安心→意欲→行動→成果だったのではないか。

では、思考はどこにいるのか

ここまで考えると、もうひとつ面白いことに気づく。この構造のどこにも、「思考が全体を支配する」という場所がない。食事も睡眠も自律神経も、人間関係の微妙なやり取りも、すべてを思考が管理しているわけではない。むしろ生命体という巨大な自律システムが先に動いている。思考はその中で、「今日は少し疲れているな」「早めに寝よう」「最近運動が足りない」「この人とは少し距離を置こう」「老後のお金はこのくらいあれば大丈夫そうだ」と部分的に関与する。重要な機能ではある。しかし、司令塔ではない。生命体の運営に参加している編集者のような存在なのかもしれない。

そう考えると、「健康を基盤に加えるべきか?」という小さな疑問が、思いがけず大きなところにつながった。人間の生活を支えているのは、ひとつの強力な意志ではない。身体、時間、空間、関係が循環し、それを経済、情報知性、継承が支え、その全体から健康や安心という状態が生まれる。その中に思考もいる。主役というより、部分関与する一員として。健康と安心は、人生を支える部品ではない。生命体と生活の循環がうまく回っているときに現れる、生命体からの返事なのだ。

【今日の1日】5時起床。家事一般。新聞+サイト運営。白湯+オイルうがい+ピラティス。朝食。移動販売-知人宅-ゴミ捨て。知人の資料整理。夕食。阪神タイガース観戦。就寝。(一言) 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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