世界と接続②

人間は、世界とどうつながっているのだろう。そんなことを考えているうちに、人類の歴史が少し違った姿に見えてきた。もともと生命体は、世界と直接つながっていた。

暑ければ暑い。寒ければ寒い。腹が減れば食べ物を探す。危険を感じれば逃げる。手で触れ、目で見て、耳で聞き、身体を動かす。

直接接続――身体で世界に触れる。

これが生命体と世界との、もっとも基本的な関係だったのだろう。ところが人間は、その間にさまざまなものを挟むようになった。

道具――身体を延長する

最初に入ってきたのが道具だった。石器を使えば、素手では切れないものを切ることができる。槍を使えば、腕の届かないところまで力を届けられる。車に乗れば、脚だけでは行けない距離を移動できる。道具は世界との接続を弱めたわけではない。むしろ、身体による世界との接続を拡張した。ハンマーは拳の延長であり、自転車や自動車は脚の延長であり、望遠鏡は目の延長とも言える。まだこの段階では、人間の身体が中心にいる。

操作――身体の動きを手順に変える

やがて人間は、道具そのものだけではなく、「どう動かせばよいか」を切り出すようになる。この順番で操作する。このレバーを動かす。このボタンを押す。決められた手順を踏めば、同じ結果を得ることができる。ここで起きたのは、身体の動作の抽象化ではないだろうか。熟練者の身体の中にあった「やり方」が、手順として身体の外へ取り出されていく。道具が身体の延長だとすれば、操作は行動の一部を身体から切り離した。

言語――世界を記号に変える

さらに大きな転換が起きる。言語である。「あそこに獲物がいる」「昨日、川が増水した」「明日は山へ行こう」言語を獲得すると、目の前にないものまで扱えるようになった。現実そのものがそこになくても、言葉によって現実を呼び出すことができる。過去を語り、未来を相談し、遠くにあるものについて考えられる。言語は、世界を記号に変えた。ここから人間は、「世界そのもの」だけでなく、「世界について」の中でも生きるようになった。思考という巨大な仮想空間が発達した背景にも、言語は深く関わっているのだろう。

貨幣――価値を共通単位にする

貨幣もまた、強力な抽象化装置だった。魚と米と家と労働。本来まったく異なるものを、「いくら」という共通の尺度で扱えるようにした。貨幣は、価値を交換可能な単位に圧縮した。これは驚くほど便利である。だからこそ、人間は巨大な社会をつくることができた。一方で、抽象化された数字が強力すぎるため、本来は生活を支えるための手段だったお金が、それ自体を増やすことを目的にしてしまうこともある。現実の生活より、数字の方を見てしまうのである。

情報――世界との接続を仮想化する

そして現代になると、生命体と世界の間に「情報」が巨大な層として入ってきた。レストランへ行く前に検索する。旅行へ行く前に動画を見る。商品を買う前にレビューを読む。人に会わなくてもSNSで近況を知る。世界に触れて情報を得るだけではない。情報に触れてから、世界へ向かう。さらに、世界へ向かわなくても済む場面まで増えた。外国へ行かなくても外国の映像を見ることができる。美術館へ行かなくても作品を見ることができる。人と直接会わなくてもコミュニケーションができる。私たちは「現実の世界」だけではなく、その写像である「情報の世界」の中でも暮らすようになった。世界との接続が仮想化されたのである。

モデル――世界を仮想空間の中に再構成する

しかし、情報が集まっただけではまだ世界の断片にすぎない。気温、株価、人口、売上、移動履歴、画像、文章。人間はそれらを組み合わせて、「世界はどのような構造になっているのか」を考えるようになった。経済モデル、気象モデル、経営モデル、科学理論。モデルとは、複雑な現実から重要な要素を取り出し、世界の構造を仮想空間の中に再構成することとも言える。すると、現実で実際にやってみる前に、「こうすれば、どうなるか」を試せるようになる。人間の頭の中で行ってきたシミュレーションを、数字や数式やコンピューターの中でも行えるようになった。

AI――世界との接触まで代理する

そしてAIが登場した。これまで人間は、情報を集め、自分で読み、考え、モデルをつくり、判断していた。ところがAIは、その一部を代わりに行う。検索する。要約する。比較する。予測する。文章を書く。提案する。判断を補助する。AIエージェントがさらに発達すれば、その先の行動まで担うようになるだろう。AIによって、世界との接続の一部が「代理化」され始めた。

こうして並べてみる。

直接接続――身体で世界に触れる。

道具による接続の拡張――身体を延長する。

操作の抽象化――身体の動作を手順化する。

言語による記号化――世界を記号に変換する。

貨幣による抽象化――価値を交換可能な単位に圧縮する。

情報による仮想化――世界をデータとして扱う。

モデル化――情報を「世界の構造」として再構成する。

AIによる代理化――世界との接触を代行する。

こうして見ると、人類史とは、生命体と世界との間に、次々と媒介層をつくってきた歴史とも見える。もちろん、それを否定する話ではない。道具も、言語も、貨幣も、情報も、モデルも、AIも、人間の能力を飛躍的に拡張してきた。問題は、それらがあまりに便利になった結果、媒介するためのものが、現実そのものに見えてしまうことなのかもしれない。お金の数字が生活そのものになる。情報の世界が現実そのものになる。モデルの中の人間が、生身の人間より本物に見えてくる。そしてAIが提示した答えを、自分が世界に触れて得た答えのように感じる。人類は世界との間に、実に多くの層をつくってきた。だからAI時代には、逆方向の動きも必要になるのではないか。情報からモデルへ、モデルからAIへと進むだけではなく、ときどきすべての層を抜けて、

自分の目で見る。
自分の耳で聞く。
自分の身体を動かす。
人に会う。
自然に触れる。
そして、自分で感じる。

世界との直接接続へ戻る。考えてみれば、人間も生命体である。AIが世界との間にある多くの媒介を引き受けてくれる時代だからこそ、人間の側には、逆に「直接触れる」という仕事が残るのかもしれない。文明が進んだ先で、身体へ戻る。それは後退ではない。長い迂回路を経た生命体が、もう一度、世界とのつながり方を選び直すことなのだと思う。

【今日の1日】5時起床。家事一般。新聞+サイト運営。白湯+オイルうがい+ピラティス。朝食。休息。昼食。昼寝。複数の医療アポ。英国年金対応。夕食。就寝。(一言) 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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