3つのワーク

ライスワーク、ライクワーク、ライフワーク

仕事には、三つの段階があるという。ライスワーク。ライクワーク。ライフワーク。言葉遊びのようだが、64歳になった今、この三つの違いが妙に腹に落ちる。

ライスワーク――生活するために働く

ライスワークは、文字通り「飯を食うための仕事」である。長いサラリーマン生活を振り返れば、仕事にはもちろん面白さもあった。達成感もあった。海外勤務もしたし、難しい仕事にも挑戦した。しかし、その一番下には、働く → 給料を得る → 家族の生活を支えるという太い線があった。住宅費もある。子どもの教育費もある。老後への備えも必要である。だから、多少嫌なことがあっても働く。上司を選べなくても働く。仕事内容を選べなくても働く。自分の時間を差し出して働く。それと引き換えに、会社は毎月決まった給料を払ってくれる。考えてみれば、会社が提供していたのは給与だけではなかった。収入、肩書き、役割、人間関係、時間割、社会との接続。会社は巨大な「安心パッケージ」を提供してくれていた。だから会社員は、ある意味では、自由の一部を差し出して、安定を買っている。これがライスワークの基本構造なのだと思う。

卒サラしたら、仕事の意味が変わった

私は還暦で37年半のサラリーマン生活を終えた。それから4年。今の家計は、自分が毎月働いて得る給与だけで成り立っているわけではない。財産収入がある。企業年金がある。妻の収入もある。そして、これから公的年金も始まる。つまり、「働かないと来月の生活に困る」という構造から離れてきた。これは単に経済的な変化ではなかった。仕事を見る目そのものが変わった。仕事の話が来ても、「いくらもらえるのだろう?」より先に、「それ、面白いかな?」と思うようになった。面白そうならやってみたい。面白くなさそうなら、やらなくてもいい。サラリーマン時代なら、ずいぶん贅沢な態度に感じただろう。しかし今は、それが自然になってきた。

ライクワーク――好きだから働く

ここでライスワークからライクワークへ移る。生活のために仕事を選ぶのではない。好きだからやる。人に会うのが面白い。知らない世界を知りたい。自分の経験が誰かの役に立つなら面白そうだ。少し頭を使う難しいテーマなら、なお面白い。報酬はもちろんあっていい。しかし、報酬が仕事をする最大の理由ではなくなる。これは大きな変化である。ライスワークでは、成果 → 収入 → 安心だった。ところがライクワークになると、安心 → 興味 → 行動 → 楽しさへと順序が逆転する。安心を得るために働くのではない。すでに一定の安心があるから、面白いことを選べる。私が最近考えている「成果から安心へ」という文明モデルから、「安心から行動へ」という生命体モデルへの転換とも重なる。

そして、ライフワーク

さらにその先に、ライフワークがある。ライクワークとの違いは何だろう。私は最近、こう考えている。ライクワークは「やりたい仕事」。ライフワークは「気がついたら、やり続けていること」。誰かに頼まれたわけではない。締切もない。報酬が約束されているわけでもない。それでも、やってしまう。私の場合、今のところそれは「人間とは何か」を考え、書くことなのだろう。生命体。身体。思考。自己。世界モデル。文明。生活OS。安心。状態。関係。循環。螺旋。こうしたテーマを毎日のように考えている。そして現在、それらを最終的に「人間の取扱説明書」へまとめようとしている。誰から頼まれたわけでもない。売れる保証もない。そもそも出版されるかどうかさえ分からない。それなのに、考えてしまう。書いてしまう。日常生活で何かを経験すると、「これは人間のどういう仕組みなのだろう?」と観察してしまう。どうやら、これがライフワークなのかもしれない。

仕事と遊びの境界が消えていく

ライフワークになると、仕事と遊びの境界も曖昧になる。散歩していて考える。旅行して気づく。人とランチをして材料を得る。ゴルフをして身体について考える。夫婦で暮らして関係について考える。東京、箱根、シンガポールと環境を変えて、自分の状態の変化を観察する。それらがすべて執筆につながっていく。これは仕事なのだろうか。遊びなのだろうか。勉強なのだろうか。生活なのだろうか。おそらく、その区別自体があまり重要ではなくなっている。生活そのものが材料になり、観察が思考になり、思考が創造につながる。ライフワークとは、仕事の一種というより、生き方と仕事が再び一体化した状態なのかもしれない。

卒サラとは、ライスワークからの卒業だった

そう考えると、「卒サラ」という言葉の意味も少し変わってくる。私は会社を卒業した。しかし、仕事を卒業したわけではなかった。むしろ、ライスワーク中心の人生を卒業した。そして今、ライスワーク→ライクワーク→ライフワークという方向へ移動している。もちろん、誰もがこの順番を歩めるわけではない。ライスワークとライクワークを同時にやっている人もいる。若いころからライフワークを持っている人もいる。三つが完全に重なっている幸運な人もいるだろう。だからこれは人生の優劣ではない。ただ、私の場合は順番だった。若いころは家族を支え、資産を形成し、社会の中で役割を果たすために働いた。それによって、少しずつ安心の土台を作った。そして64才になった今、その土台の上で、「では、自分は何をしたいのか?」を問えるようになった。これは「引退」とは少し違う。むしろ逆かもしれない。生活のための仕事から離れたことで、初めて、自分の人生を使ってやりたい仕事が見えてきた。ライスワークを卒業した先にあったのは、仕事のない人生ではなかった。ようやくライフワークを始められる人生だった。

【今日の1日】5時起床。家事一般。新聞+サイト運営。白湯+オイルうがい+ピラティス。朝食。ゴミ捨て-ガソリンスタンド-ヨガ-昼食-コンビニ-ジム-買物。夕食。家計事務。就寝。(一言) 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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