組織vsフリー

会社を辞めて得たのは、自由ではなく「安心の自己調達」だった

組織に所属して働くのと、フリーで働くのとでは、何が一番違うのだろう。最初に思いついたのは、ストレス vs 安定だった。会社員にはストレスがある。上司がいる。評価される。期限がある。付き合う人を選べない。やりたい仕事だけを選ぶこともできない。一方、フリーになれば自由になる。

しかし考えてみると、これは少し違う。フリーにもストレスはある。来月も仕事があるのか。収入は安定するのか。自分は社会から必要とされているのか。今日、何をすればいいのか。つまり、会社員とフリーでは「ストレスの量」が違うというより、ストレスの発生源が違うのだ。

会社は「安心パッケージ」を提供している

会社員時代を振り返ると、会社から受け取っていたのは給料だけではなかった。毎月、給料が入る。明日行く場所がある。肩書きがある。仕事仲間がいる。やるべき仕事がある。社会との接点がある。さらに、仕事の優先順位や一日の時間割まで、かなりの部分を組織が決めてくれる。これは考えてみれば、ものすごいサービスである。会社とは、給与と引き換えに労働力を提供するだけの場所ではない。収入、役割、時間割、人間関係、評価、社会との接続まで含めた「安心パッケージ」を提供する装置でもある。その代わり、こちらも差し出すものがある。時間である。自由である。そして、組織への適応である。かなり単純化すれば、組織人は、自由を差し出して安定を買う。フリーは、安定を差し出して自由を買う。そんな交換が行われているのかもしれない。

ところが、私の場合は少し違う

私は還暦でサラリーマンを卒業した。現在の家計を支えているのは、自分が毎月働いて得る給与ではない。財産収入があり、企業年金があり、妻の収入もある。これからは公的年金も加わってくる。つまり、「今月働かなければ、来月の生活が成り立たない」という構造から、かなり離れたところにいる。ここに、卒サラ後の自分を理解する重要なポイントがあることに気づいた。私は単に会社を辞めて自由になったのではない。組織から安心を買う必要がなくなってきたのだ。現役時代は、労働 → 給与 → 家計 → 安心という一本の太い線があった。ところが今は、財産収入・企業年金・妻の収入・将来の公的年金 → 家計 → 安心と、複数の流れになっている。しかも、その多くは「今日の自分が何時間働いたか」と直接つながっていない。これはお金の問題であると同時に、心理の問題でもある。

「成果→安心」から「安心→行動」へ

サラリーマン時代の私は、おそらく無意識に、働く → 成果を出す → 収入を得る → 安心するという順序で生きていた。私が考えてきた「文明モデル」である。成果 → 安心である。

ところが今は順序が逆になりつつある。まず、生活の基盤としての安心がある。その上で身体を整える。人と会う。歩く。料理をする。旅をする。本を書く。面白そうな仕事があればやる。つまり、安心 → 良い状態 → 意欲 → 行動 → 成果である。成果は安心を獲得するための条件ではなく、良い状態から自然に出てくる「結果」に近くなる。これは私が考えている「生命体モデル」そのものでもある。

だから「楽しそうでなければやらない」が可能になる

最近、仕事の話を聞くとき、自分の中に以前とは違う判断基準がある。「いくらもらえるか」より先に、「それは面白そうか?」が出てくる。楽しそうでなければ、やらなくてもいい。現役時代なら、少し贅沢な態度に感じたかもしれない。しかし今考えると、これは怠惰になったわけでも、仕事への意欲を失ったわけでもない。仕事の役割が変わったのだ。仕事が「生活を支えるためのもの」から、「生活を豊かにする選択肢のひとつ」になった。だから、仕事をすることもできるし、しないこともできる。執筆してもいい。人と会ってもいい。身体を動かしてもいい。何もしない時間があってもいい。重要なのは「仕事をしているか」ではなく、自分が良い状態にあるかになってきた。

卒サラとは、安心を自分で設計することだった

こう考えると、この4年間にやってきたことも違って見える。経済的な安心だけではない。身体については、ヨガやジムやピラティス。人間関係については、家族、友人、旧同僚との交流。環境については、複数の場所を行き来する生活。役割については、執筆や「人間とは何か」という探究。会社が提供していたものを、ひとつずつ自分の生活の中に配置し直している。つまり私は、会社を辞めた後に、「安心の自己調達システム」を作ってきたのかもしれない。会社員時代は、組織に適応することで安心を得る。今は、安心できる生活OSを自分で設計し、その上で自由に動く。この違いは大きい。還暦で会社を辞めて4年。ようやく最近、「サラリーマンモードが抜けてきた」と感じる理由も、ここにあるのかもしれない。会社という建物から出ることは、一日でできる。しかし、「安心は組織から与えられるものだ」という身体に染み込んだ前提から出るには、何年かかかる。そして、その前提が外れてくると、問いそのものが変わる。「どうすれば安心して生きられるか」ではない。すでに一定の安心があるのなら、この身体と、この時間を、何に使おうか。卒サラ後の本当の自由とは、もしかするとここから始まるのかもしれない。

【今日の1日】5時起床。家事一般。新聞+サイト運営。白湯+オイルうがい+ピラティス。朝食。隣人とゴルフ(含む昼食・入浴)。情報整理。夕食。夕寝。思索。就寝。(一言) 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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