世界との接点の多様性と、構造化する力 ―― 73才と76才、ふたりの先輩から学んだこと
先日、私より9才年上の73才の男性とランチをした。音楽、美術、映画、旅行、競馬、証券投資。実に多彩な興味・関心を持ち、それぞれの世界を楽しんでおられる。一方、将来への備えも現実的だ。75才からの後期高齢者医療制度への移行、企業年金の減少、将来の介護施設への入居、お墓の手配など、今後のキャッシュフローや生活の変化をしっかり認識している。運動習慣は歩行が中心。奥様の親戚筋が運営する医療法人では事務長として働き、さまざまな機会を通じて人との会話も十分に確保されているようだ。
お話を伺っていて、強く印象に残ったことがある。この方は、自分の興味・関心に忠実に生きておられる。そして、その結果として、外部世界との接点が実に多様なのだ。
もう一人の先輩の「面白くない」
一方、箱根に住む76才のフランス人の知人がいる。以前は東京と箱根の二拠点生活を送っていたが、1年前に東京の拠点を解消し、箱根に一極化した。最近、彼からこんな言葉を聞いた。「今の生活は面白くない」私は尋ねた。「What is your solution?」返ってきた答えは、「I do not know.」だった。彼は外出する機会が減り、階段の上り下りにも苦労するようになっている。私の観察では、身体機能が低下したから世界との接点が減ったというよりも、世界との接点が減った結果、身体を動かす機会が減り、身体機能の低下につながったように見える。もちろん、身体機能の低下にはさまざまな原因がある。単純に因果関係を断定することはできない。しかし、生活環境の変化が、身体と意欲の双方に大きな影響を与えた可能性は十分にあると思う。
二人の年齢差はわずか3才。それでも、日常生活から受ける印象はかなり異なる。この対比は、私にとって大きな刺激になった。
世界との接点は、生命体の活動基盤
私は卒サラ後、人間をひとつの生命体として捉え直し、生活を身体・時間・空間・関係という四つの要素から考えてきた。いわば「生活OS」である。今回の二人との交流から、そこに新しい視点が加わった。外部世界との接点の多様性である。
身体は、世界に出ていくための基盤。時間は、世界と出会う機会を配分するもの。空間は、異なる世界へのアクセスを左右するもの。関係は、他者を通じて世界とつながる経路。こう考えると、生活OSの四つの要素は、いずれも外部世界との接続を支える仕組みだと理解できる。そして、世界との接点が多様であれば、身体は動き、感情は反応し、新しい情報や経験が入ってくる。それが新しい興味・関心を生み、次の行動につながる。逆に、接点が減少すれば、身体活動や刺激が減り、意欲も低下し、さらに接点が減るという悪循環が生じる可能性がある。重要なのは、接点の数をやみくもに増やすことではない。異なる種類の世界と、無理なくつながり続けられること。これが人生後半の生活を考えるうえで、重要な条件なのではないか。
世界を楽しむ人と、世界を構造化する人
73才の方とのランチでは、もうひとつ興味深いことを感じた。それは、思考の方向性の違いである。この方は、興味のある世界へと関心を広げていく。音楽が面白い。美術も面白い。映画も旅行も競馬も面白い。世界そのものを楽しんでいる印象だ。
一方、私はどうか。もちろん、私も旅行や音楽、料理、運動、人との交流を楽しむ。しかし、最近の自分を観察すると、個々の経験を材料として、その背後にある仕組みを理解しようとする傾向が強い。人間はなぜこう感じるのか。身体と思考はどういう関係にあるのか。自己とは何か。世界モデルや自己モデルは、どのように形成され更新されるのか。
つまり、73歳の方は興味のある世界へと横に広がり、私は観察した世界を縦に掘り下げ、構造化しようとしている。もちろん、これは相対的な傾向の違いであって、優劣ではない。ただ、今回のランチを通じて、私は自分にとって重要なことを再認識した。
接点の多様性と構造化能力は補完関係にある
私はこの数年間、人間の設計思想について考え続けてきた。そしてAIを活用するようになってから、観察した事象を構造化し、仮説を展開する速度が飛躍的に高まったと感じている。しかし、ここにはひとつの落とし穴がある。構造化する材料は、どこから来るのか。それは、現実世界との出会いからである。既存の世界モデルの中だけで考え続けていると、同じ材料を繰り返し編集することになりかねない。以前から、そうした思考には、どこか前に進まない感覚があった。今回、その理由が少し明確になった。外部世界との接点の多様性と、構造化能力は補完関係にある。外部世界との接点は、新しい経験、刺激、情報、問いをもたらす。構造化能力は、それらを関連づけ、世界モデルや自己モデルを更新する。更新されたモデルは、新しい関心を生み、再び世界との接点を広げる。つまり、世界との接点 → 観察・体験 → 構造化 → モデル更新 → 新しい興味・関心 → 世界との接点という循環である。世界との接点が思考に材料を与え、思考の構造化が世界との接点に深みを与える。これは、今後の私にとって大切な視点になりそうだ。
ただし、すべてを構造化する必要はない
もうひとつ、73才の方から学んだことがある。それは、世界と接触すること自体を楽しむ姿勢だ。音楽を聴いて心地よい。映画を観て面白い。旅行先で新しい景色に出会う。それだけで十分な価値がある。私は何かを経験すると、その意味を考えたり、構造化したりする傾向がある。それ自体は自分の特性であり、楽しみでもある。しかし、あらゆる経験を理解や創造につなげる必要はない。身体が世界と出会い、その瞬間を楽しむ。思考は、必要なときに働けばよい。身体は世界と出会い、思考は世界を理解する。このふたつの営みを、もっと自然に循環させればよいのだろう。
64才からの生活を考える
私は卒サラして4年、東京と箱根の二拠点生活を始めて6年以上になる。東京には文化や人との交流があり、箱根には自然と静けさがある。最近はシンガポールにも滞在し、異なる環境で生活する面白さを再認識した。さらに国内旅行や文化的な体験にも関心が向き始めている。これまでは、こうした変化を「環境を切り替えることで自己を更新する」と理解していた。今回、そこにもう一つの意味が加わった。世界との接点の多様性を維持し、広げていくこと。73才の方は、その実例を見せてくれた。76才の方は、接点が縮小したときに生じ得る難しさを考えさせてくれた。そして私は、そのふたりとの交流自体から新しい発見を得て、世界モデルを更新している。考えてみれば、これも世界との接点と構造化能力の補完関係そのものではないか。私が人生後半に求めているのは、「穏やかで活発な状態」である。そこに今回、新しい視点が加わった。穏やかで、活発で、世界に開かれた状態。そのためには、身体を維持することも、お金の安心を確保することも、人との関係を保つことも重要だ。しかし、それらは目的というより、世界と出会い続けるための基盤でもある。世界との接点を増やすことを義務にはしたくない。自分の興味・関心に従って、自然に外へ向かう。そして、ときには静かな環境に戻り、経験を味わい、考える。
静から動へ。そして再び静へ。
今回の二人の先輩との交流は、人生後半の生活設計について、思いがけず大きなヒントを与えてくれた。世界との接点を持ち続けること。そして、世界と出会うこと自体を楽しむこと。64才の今、これからの9年、12年をどう生きるかについて、また一つ新しい視点を得た気がしている。
【今日の1日】5時起床。家事一般。新聞+サイト運営。白湯+オイルうがい+ピラティス。朝食。コンビニ-眼科-知人と昼食(中華)・喫茶-墓-買物。海外年金対応。夕食。忘年会企画。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
