環境を変える

生活OSは、環境を変えないと見えてこない

最近、「生活OS」というものについて考えている。私が生活OSと呼んでいるのは、身体・時間・空間・関係といった要素が組み合わさって、その人の「状態」を作り、そこから意欲や行動、さらには思考までが生まれてくる仕組みのことである。ところが、この生活OSには厄介な特徴がある。同じ環境にずっといると、その存在自体が見えなくなる。空気のようなものだ。毎日同じ家で起き、同じ時間帯に食事をし、同じ人と過ごし、同じ街を歩いている。すると、その環境によって自分の身体や思考がどう動かされているのかを意識しなくなる。そして、その結果として起きていることを、「自分はこういう性格だから」「自分は運動が苦手だから」「最近、やる気が出ない」「自分は考えすぎるタイプだから」と、すべて「自分」の問題として処理してしまいやすい。しかし、本当にそうなのだろうか。

シンガポールに行ったら、身体が勝手に動いた

先日、シンガポールで7泊の日常生活を送った。観光旅行ではない。長男の家に滞在し、買い物をし、料理をし、街を歩き、疲れたら昼寝をする。できるだけ普段通りに生活してみた。そこで驚いた。とにかく身体がよく動く。日本にいると8000歩歩けば「今日はよく歩いた」と感じるのに、シンガポールでは1日2万歩近く歩く日が何日もあった。6日間で10万歩ほどになった。別に「運動しよう」と強く決意したわけではない。外へ出る。歩く。何かを見つける。また歩く。身体が環境に反応して、自然に動いていた。もうひとつ大きかったのが、思考の向きだった。日本、とりわけ静かな箱根にいると、注意のベクトルが自分の内側へ向きやすい。ところがシンガポールでは、街、人、建物、食文化、気候、交通、生活習慣など、次々と違うものが目に入ってくる。注意のベクトルが外へ向かう。その結果、自己について考えている時間が減った。これも「考えすぎないようにしよう」と努力した結果ではない。環境が変わったら、思考の向きまで変わったのである。

帰国して、もう一つ面白いことが起きた

さらに興味深かったのは、帰国後だった。シンガポールから東京へ戻り、その後、箱根へ移動した。すると、それまで当たり前だった東京や箱根の特徴が、以前よりはっきり見えるようになった。箱根は静かである。自然が多く、身体も心も静まりやすい。執筆にも向いている。しかし同時に、外から入ってくる刺激が少ないため、注意のベクトルが内側へ向かいやすい。以前なら、それを単に「箱根では落ち着く」と捉えていた。ところがシンガポールを経験した後では、「なるほど。この環境では、自分の生活OSがこう作動するのか」と見える。つまり、AからBへ移動すると、Bが分かる。BからAへ戻ると、今度はAが分かる。環境を変えることによって、比較対象が生まれるのである。

OSは、動かして初めて見えてくる

ここから考えると、生活OSには四つくらいの段階があるのかもしれない。定住すると、OSは透明化する。同じ環境が当たり前になり、自分が環境から受けている影響が見えなくなる。移動すると、OSが可視化する。環境が変わり、身体・状態・行動・思考が変化することで、「自分は環境によってこんなに変わるのか」と気づく。反復して移動すると、OSを比較できる。東京、箱根、シンガポールを行き来することで、それぞれの場所が自分に何をもたらしているのかが分かってくる。そして最後は、環境を選ぶことで、OSを設計できる。ここまで来ると、話がかなり変わってくる。

「自分を変える」から「環境を選ぶ」へ

私たちは何かを変えようとすると、すぐに自分の意志を使おうとする。もっと運動しよう。もっと集中しよう。考えすぎないようにしよう。規則正しく生活しよう。しかし今回の経験からすると、その前に考えることがある。どんな環境なら、自分の身体は自然にそう動くのか。シンガポールでは、運動しようとしなくても歩いた。箱根では、集中しようとしなくても文章を書きたくなる。東京では、人や文化や情報との接触が増える。だとすれば、顕在意識の仕事は、身体を毎日叱咤激励することではないのかもしれない。むしろ、環境を選び、配置するナビゲーターくらいでいいのではないか。

生活OSは「自分の中」にあるのか

そして最近、もう一段先のことを考え始めている。私はこれまで生活OSを、自分が持っている何らかの仕組みのように考えていた。しかし、本当にそうだろうか。同じ私でも、東京にいる私、箱根にいる私、シンガポールにいる私では、身体の動き方も、時間の使い方も、注意の向きも、思考の内容もかなり違う。だとすると、生活OSは完全に「私の中」にあるものではない。身体と環境との「あいだ」に成立するものなのではないか。環境が身体に働きかける。身体が反応する。そこから状態が生まれる。状態によって注意・関心が変わる。注意・関心によって行動や思考が変わる。そして行動によって、また環境との関係が変わっていく。つまり、環境 → 身体 → 状態 → 注意・関心 → 行動・思考 → 環境という循環がある。生活OSとは、この循環全体を指しているのかもしれない。そう考えると、「自分とは何か」という問いまで少し違って見えてくる。固定された「私」がいて、その私が環境の中で行動しているのではない。環境との相互作用の中で、毎回少しずつ違う「私」が立ち上がっている。

二拠点生活を始めて6年以上になる。これまでは、東京と箱根という性格の違う二つの場所を楽しんでいると思っていた。そこに今回、シンガポールという大きく異なる環境が加わった。すると、三つの場所が見えてきただけではなかった。それぞれの場所にいる「自分」まで見えるようになってきた。環境を変えるとは、単に景色を変えることではない。自分の生活OSを、一度揺さぶってみることなのだ。そして揺さぶって初めて、普段は透明になっているOSの存在・機能・特徴が見えてくる。そう考えると、旅や二拠点生活の意味も変わってくる。場所を変えることは、自分を観察するための実験でもある。

【今日の1日】5時起床。家事一般。新聞+サイト運営。白湯+オイルうがい+ピラティス。朝食。知人と昼食@錦糸町-ジム-喫茶-買物。夕食。阪神タイガース観戦。就寝。(一言) 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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