脳は身体の一部だった!― 大腸内視鏡検査の食事制限から考えた、身体と思考の関係 ―
大腸内視鏡検査を受けるため、2日間の食事制限をしている。普段とは違う食生活。食事の量も内容も制限される。そんな中で、ある変化に気づいた。脳が100%機能していない感覚がある。頭が回らないわけではない。普通に考えることはできる。しかし、いつものような思考の切れ味がない。発想が次々と湧いてくる感じも弱い。そこで、当たり前のことに気づいた。
「そうか、脳は身体の一部だった!」
考えてみれば当然のことだ。しかし、知識として理解することと、身体を通じて実感することは、まったく違う。
1.思考する自分は、身体から独立していない
私たちは日常生活の中で、身体と思考を別々のものとして扱いがちだ。身体は歩く、食べる、眠る、運動するといった活動を担当する。一方、思考は考える、判断する、想像する、創造するといった活動を担当する。私自身も長い間、そんな感覚を持っていた。しかし、脳は身体の一部である。脳もまた、血液から酸素や栄養を受け取り、身体全体の状態に影響されながら活動している。食事制限による摂取エネルギーの変化、水分や電解質の変化、あるいは検査を控えた心理的な影響などによっても、思考の状態は変わり得る。つまり、思考とは身体から独立した活動ではない。
身体という生命体が営む活動の一つが、思考なのである。
これは、私の人間理解にとって重要な再確認だった。
2.「身体+思考」というモデルの修正
卒サラ後の4年間、私は人間という存在を理解するために、さまざまなモデルを考えてきた。その中心にあるのが「身体と思考」という区分である。身体は「今ここ」に存在し、現実の世界と直接出会う。思考は、過去の経験を編集し、未来を想像し、世界モデルや自己モデルを構築する。この区分は、今でも有効だと思っている。ただし、今回の経験を踏まえると、少し修正が必要かもしれない。身体と思考は、独立した二つの装置ではない。
身体が基盤であり、思考はその身体から生まれる機能である。
そして、思考によって構築された世界モデルや自己モデルが、再び身体の行動に影響する。身体の状態が思考を変え、思考が身体の行動を変える。両者は一方向の関係ではなく、循環している。ここでもまた、「循環」という概念が登場する。
3.思考能力は一定ではない
もうひとつ、興味深いことがある。私たちは、自分の思考能力を比較的固定したものとして認識しているのではないだろうか。頭の良い人、発想力のある人、判断力のある人。しかし、実際には同じ人間でも、思考の質は日々変動している。十分に眠った朝。散歩を終えた後。温泉でゆったりしているとき。人との会話から新しい刺激を受けたとき。そして、今回のように食事を制限しているとき。同じ脳であっても、その働き方は違う。だとすれば、私が「自分の思考能力」だと考えているものは、実は身体の状態や環境に大きく依存しているのではないか。
能力は個人に固定的に備わったものというだけでなく、その時々の状態によって発揮されるものでもある。
これは創造性を考える上でも、重要な視点だと思う。
4.創造性は意志で絞り出すものではない
卒サラ後、私の生活の中心に置くようになったもののひとつが、創造性である。新しいことを発見したい。自分の世界モデルを更新したい。観察したことを構造化し、文章として表現したい。しかし、創造性は「さあ、創造しよう」と意志を働かせれば、必ず生まれるものではない。むしろ、身体の状態が整い、時間的な余白があり、適度な刺激があるときに、自然と発想が湧いてくることが多い。最近、私は予定を組むこと自体が仕事のようになってきたと感じている。ジム、ヨガ、散歩、ゴルフ、料理、人との交流、執筆。予定の量、種類、間隔を調整し、身体に過度な負担をかけず、創造性が高まる状態をつくろうとしている。今回の食事制限は、その方向性を裏側から確認する経験になった。
創造性を直接コントロールするのではなく、創造性が生まれやすい身体と環境の状態を整える。
これこそ、私が考えてきた「状態ファースト」の実践なのだろう。
5.64才からの身体回帰
最近、私は身体への関心を強めている。東京でもジムに通うようになり、箱根ではヨガ、散歩、ゴルフなどを続けている。背景には、64才になって感じる身体の変化がある。柔軟性、反応速度、肌の質感、記憶力。若い頃とは何かが違う。一方で、運動を続けることで身体の使い方が改善する感覚もある。私が目指しているのは、若い身体を取り戻すことではない。76才になっても、自分の足で歩き、人と会い、新しい場所を訪れ、世界との接点を持ち続けることである。今回、そこにもうひとつの意味が加わった。
身体を整えることは、思考する能力、そして創造する能力を支えることでもある。
身体への投資は、単なる健康維持ではない。これからの人生で世界と出会い、世界モデルを更新し続けるための投資なのだ。
6.生活OSとは、身体と思考の循環を整える仕組み
私が考える「生活OS」は、身体、時間、空間、関係をどう設計するかという仕組みである。十分な睡眠を取る。適切に食べる。身体を動かす。人と交流する。環境を変える。そして、何もしない余白を確保する。これらは別々の活動のように見える。しかし、実際にはすべてが身体の状態を通じて、思考や感情、意欲、行動に影響している。身体の状態が整うと、思考が活発になる。思考が活発になると、新しいことへの好奇心が生まれる。好奇心が行動を促し、行動が新しい経験を生む。新しい経験によって世界モデルが更新され、また次の行動が生まれる。こうして、身体と思考と世界との循環が回り続ける。もちろん、身体の状態が良ければ必ず創造性が高まるわけではない。しかし、身体の状態が思考の可能性を左右する重要な条件であることは間違いないだろう。
7.頭は未来へ、身体は今ここ
私は以前から、「頭は未来へ、身体は今ここ」という言葉を大切にしてきた。思考は過去や未来へ自由に移動できる。しかし、身体は常に「今ここ」に存在している。今回、もう一段深い理解に至ったように思う。未来へ飛び回っている思考も、実は「今ここ」にある身体によって支えられている。どれほど壮大な未来を構想していても、それを考えている脳は、現在の身体の一部なのだ。思考は時間と空間を超えて自由に活動できる。しかし、その自由を支えているのは、現在の身体である。だからこそ、身体を疎かにしてはいけない。思考を大切にするなら、身体を大切にする必要がある。そして、身体を大切にすることは、これからの人生の可能性を大切にすることでもある。
大腸内視鏡検査のための、わずか2日間の食事制限。その小さな非日常が、私に人間という生命体の基本構造を改めて教えてくれた。
脳は身体の一部だった。そして、思考の自由は、身体という土台の上に成立している。64才からの身体回帰。その意味が、また一つ深まった。
【今日の1日】5時起床。家事一般。新聞+サイト運営。白湯+オイルうがい+ピラティス。朝食。知人とランチ@本郷三丁目。家計事務。ジム・スイム-11人宴席@千駄ヶ谷。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
