「私」はどこにいるのか? ― 身体・感情・思考・意志・行動の循環
人間は、どのような仕組みで生きているのだろうか。最近、私は「身体・感情・思考・意志・行動」という5つの要素の関係を考えている。かつては、確固たる「私」が存在し、その私が考え、決断し、身体を動かしていると思っていた。しかし、還暦でサラリーマン生活を卒業し、4年間、自分の生活を観察してきた結果、少し違う構造が見えてきた。人間は、意志を頂点とする指揮命令システムではなく、身体・感情・思考・意志・行動が相互に作用する循環システムなのではないか。
1.身体は生命活動の基盤
まず、身体がある。身体は、呼吸し、食べ、眠り、動き、外部環境に適応しながら生命を維持している。心臓の鼓動も、消化も、体温調節も、いちいち私の意志を必要としない。最近、東京でもジムに通うようになり、身体が少し引き締まり、活動的になってきた。興味深いのは、身体が変わると気分も変わり、思考の働き方まで変わることである。逆に、大腸内視鏡検査のために食事制限をした際には、頭が十分に働かない感覚を経験した。思考力という独立した能力が存在するのではなく、思考も身体の状態に大きく左右されている。当たり前のことなのだが、長年、頭脳労働を中心に生きてきた私には、重要な発見だった。
2.感情は、何が重要かを知らせる
次に、感情がある。嬉しい、悲しい、楽しい、不安だ、面倒くさい、心地よい。感情は単なる思考の邪魔者ではない。身体の状態、過去の経験、現在の環境、人間関係などを背景に、何が自分にとって重要なのかを知らせてくれる。例えば、誰かと会った後に充実感が残ることがある。一方、特に理由を意識しなくても、気が重くなることもある。感情は、思考によって十分に言語化される前に、何らかの評価を行っているのだろう。もちろん、感情が常に正しいとは限らない。しかし、無視すべきものでもない。感情は、生命体から届く価値判断のメッセージと考えると、その役割が理解しやすくなる。
3.思考は、時間と空間を超える
思考には、身体や感情とは少し異なる特徴がある。今ここにいながら、昨日を振り返り、10年後を想像できる。東京にいながら箱根の生活を思い浮かべ、箱根にいながらシンガポールでの活動を計画できる。思考は、身体が存在する現在の場所と時間を超えて、仮想的な世界を作ることができる。これは人間にとって非常に強力な能力である。文明の発展も、将来を予測し、計画し、実行する思考能力に大きく支えられてきた。しかし、ここに落とし穴もある。将来のために現在を犠牲にすることが可能になるのだ。仕事、蓄財、社会的評価、老後の準備。将来を考えること自体は必要だが、思考が強くなりすぎると、現在の身体や感情のメッセージが後回しになる。長いサラリーマン生活の中で、私自身も思考を主人公にして生きてきたのかもしれない。
4.では、意志とは何なのか
ここが最も興味深い。私たちは普通、「自分の意志で決めた」と考える。しかし、その意志はどこから生まれるのだろう。例えば、朝、ジムに行こうと決める。その背景には、身体の調子、運動後の爽快感の記憶、健康への期待、今日の予定、習慣などがある。つまり、意志は何もないところから突然生まれるわけではない。身体、感情、思考、記憶、環境などが相互に作用する中で、ある方向性が形成される。その方向性を、私たちは「自分の意志」と呼んでいるのではないか。もちろん、意志には重要な働きがある。目先の快楽を抑えたり、将来の目標に向かって努力を続けたりすることができる。しかし、意志は身体や感情や思考の上に君臨する独立した司令塔ではない。意志もまた、生命活動の循環の中から生まれ、その循環に働きかける機能なのだろう。
5.行動が、再びすべてを変える
最後に、行動がある。ここで循環が完成する。例えば、散歩に出かける。歩くことで血流が変わり、身体が温まり、気分が変わる。景色を眺め、人とすれ違い、新しい発見をする。すると、思考も変わる。新しい考えが浮かび、次にやりたいことが生まれる。行動が身体を変え、感情を変え、思考を変え、次の意志を形成する。そして、また新しい行動が生まれる。しかも、すべての行動が意識的な思考や決断を経ているわけではない。習慣的に身体が動くこともあれば、感情に突き動かされることもある。人間は、単純な「思考→意志→行動」という一方通行の仕組みでは動いていないのである。
6.循環を取り巻く自然・関係・時空
さらに考えてみると、この5つの循環は、人間の内部だけで完結していない。自然、人間関係、時間、空間が絶えず影響している。私の場合、箱根では自然に接し、静かな環境で思索する。東京では人と交流し、ジムや習い事など多様な活動を行う。シンガポールでは、異なる都市環境から刺激を受け、よく歩く。同じ私でも、場所が変われば、身体の使い方も、感情も、思考も変わる。また、一日の中でも、朝は思考が活発で、午後は身体を動かしたり人と会ったりする方が適している。睡眠や余白の取り方によっても、翌日の状態は変わる。こう考えると、生活を設計するということの意味が変わってくる。意志の力で自分を管理することが、生活設計の中心ではない。身体・感情・思考・意志・行動がうまく循環するように、自然・関係・時空との接点を整えること。これこそが、私の考える「生活OS」の核心に近い。
7.では、「私」はどこにいるのか
ここまで考えると、最後にひとつの疑問が残る。「私」は、この5つのどこにいるのだろう。身体が私なのか。感情が私なのか。思考が私なのか。それとも、意志こそが私なのか。以前の私は、思考し、意志を持つ存在が「本当の私」だと考えていたように思う。しかし、今は違う。身体が変われば感情が変わる。感情が変われば思考が変わる。思考が変われば意志が変わる。行動すれば、環境が変わり、また身体や感情や思考が変わる。その過程で、自分についての理解、つまり「自己モデル」も更新されていく。そう考えると、固定的な自己をどこか一カ所に見つけようとすること自体に、無理があるのかもしれない。最近学んでいる初期仏教の「縁起」や「無我」という考え方とも、ここで接点が生まれる。自己とは、独立した不変の実体ではなく、さまざまな条件の相互作用の中で成立するものなのではないか。
8.人生は操縦するものから、整えるものへ
還暦でサラリーマンを卒業してから、私の生活観は少しずつ変化してきた。最初は、自由になった時間をどう使うかを考えていた。次に、何をすることが自分にとって有意義なのかを考えるようになった。そして最近は、どのような状態に自分を置けば、自然に充実した活動が生まれるのかを考えている。これは小さな変化ではない。かつては、意志によって人生を操縦しようとしていた。今は、身体の声を聞き、感情を観察し、思考を働かせ、環境を整えながら、自然に行動が生まれる状態を大切にしたいと思っている。もちろん、努力や意志が不要になったわけではない。むしろ、意志の力をどこで使うべきかが変わったのである。目の前の行動を無理に強制するよりも、よい循環が生まれる生活の条件を整えることに意志を使う。身体は生き、感情は価値を知らせ、思考は可能性を描き、意志は方向を定め、行動は世界を変える。そして、変わった世界が、再び身体・感情・思考・意志を変えていく。その循環の中で、「私」も絶えず更新されている。人生の主人公としての固定的な「私」がいなくても、人生は動いていく。いや、むしろ、そのことに気づくことで、以前より自然に、無理なく生きられるようになるのかもしれない。
【今日の1日】5時起床。朝ルーティン。朝食。ガスリンスタンド-コンビニ-ヨガ-昼食(うどん)-ジム-買物。夕食。Lineチャット。就寝。(一言)ゴルフスイング、左足で踏ん張りながら左腰を引く、手は左手主導で振り下ろし、右手も加勢して振り抜く。
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
