脳はカメラ?

同じ景色が違って見える ―― 私たちは世界そのものを見ているのではない

同じ景色を眺めているのに、心の状態によって見え方が変わる。心が穏やかなときには美しく感じられる景色が、気分が沈んでいるときには、どこか寂しく見える。逆に、何気なく眺めていた景色が、ある日突然、驚くほど美しく感じられることもある。景色そのものは何も変わっていない。変わったのは、こちら側である。この何気ない現象には、人間という生命体の仕組みを理解するうえで、重要な手掛かりが隠されているように思う。

1.脳はカメラではなく、編集者である

私たちは普通、自分の目に映っているものが、そのまま外部世界の姿だと思っている。しかし、実際にはそうではない。目から入ってくる視覚情報を、脳が過去の記憶、経験、予測、感情などと照合しながら解釈している。つまり、私たちが経験しているのは、外部世界そのものではなく、脳によって構成された世界なのである。例えば、箱根の家から眺める山々。心が穏やかなときには、自然の豊かさや静けさを感じる。何か不安を抱えているときには、同じ静けさが孤独に感じられるかもしれない。気分が高揚しているときには、木々の色彩や光の変化が鮮やかに目に飛び込んでくる。一方、疲れているときには、目の前に美しい景色が広がっていても、ほとんど何も感じないことがある。同じ景色なのに、経験する世界が違う。脳は世界を写し取るカメラではなく、世界を編集する装置なのだ。

2.世界モデルが景色をつくる

最近、私は人間の思考を「世界モデル」という概念で整理している。脳は、外部世界についての膨大な情報を蓄積し、それらを関連づけながら、自分なりの世界モデルを構築している。そして、新しい情報が入ってくるたびに、そのモデルを使って解釈し、必要に応じて更新している。興味深いのは、この世界モデルが決して固定されたものではないことだ。過去の経験によって変わるだけでなく、その瞬間の感情や身体の状態によっても、どの情報に注意を向け、どのような意味を与えるかが変化する。同じ景色でも見え方が違うという現象は、世界モデルが常に稼働し、私たちの知覚に影響していることを示している。言い換えれば、私たちは世界を見てから意味を考えるだけではない。すでに持っている意味の枠組みを通して世界を見ている。これは、思考の役割を理解するうえで重要な視点だと思う。

3.「状態ファースト」の意味が深まる

卒サラ後の生活を通して、私がたどり着いた考え方の一つが「状態ファースト」である。人間は意志の力だけで行動しているわけではない。安心できる環境、身体の調子、心の落ち着きといった状態が整うことで、自然に意欲が生まれ、行動につながっていく。これまでは、状態 → 意欲 → 行動 → 成果という流れで考えていた。しかし、同じ景色が違って見えるという観察を加えると、その間にもう一つ重要な要素があることに気づく。状態 → 世界の見え方 → 意欲 → 行動 心身の状態は、行動するためのエネルギーを左右するだけではない。そもそも、世界がどのように見えるかを左右しているのである。これは大きな違いだ。心身の状態が良ければ、普段の生活の中に面白さや可能性を発見しやすくなる。逆に、状態が悪ければ、本来は魅力的な環境にいても、その魅力に気づきにくくなる。つまり、状態を整えることは、世界との接点の質を変えることでもある。

4.外部世界を変えなくても、経験する世界は変わる

人間は、より良い生活を求めて外部環境を変えようとする。住む場所を変える。旅行に出かける。新しい趣味を始める。新しい人と出会う。私自身も、東京と箱根の二拠点生活を続け、最近ではシンガポールや国内の新しい場所にも関心が広がってきた。外部世界との接点を増やすことには、大きな価値がある。しかし、今回の観察から、もうひとつの方向が見えてくる。外部世界を変えなくても、自分の状態が変われば、経験する世界は変わる。散歩をする。身体を動かす。十分に眠る。誰かとおしゃべりをする。何も予定を入れず、余白の時間を楽しむ。こうした日常の小さな行動が、心身の状態を変え、その結果として世界の見え方を変えていく。考えてみれば、これは随分と経済的な話でもある。新しい景色を求めて遠くへ出かけることも楽しいが、いつもの景色から新しい美しさを発見できれば、それもまた豊かな経験である。豊かさは、外部世界に存在するものの量だけで決まるわけではない。それを受け取る側の状態にも左右される。

5.景色もまた、心の状態を変える

さらに面白いのは、この関係が一方向ではないことだ。心の状態によって景色の見え方が変わる一方で、景色によって心の状態も変わる。箱根の森を歩いているうちに、気分が落ち着いてくる。東京の街を歩いていると、さまざまな刺激を受けて好奇心が湧いてくる。美しい夕焼けを眺めているだけで、何ともいえない充足感が生まれることもある。つまり、心身の状態 ⇄ 世界の見え方という相互作用がある。さらに、世界の見え方が行動を変え、行動が新しい経験を生み、その経験が再び心身の状態や世界モデルを変えていく。ここにも循環がある。私が最近考えている「直線から循環へ」という人生観ともつながる。人生を豊かにするのは、外部から何かを獲得し続けるという直線的な活動だけではない。身体、思考、行動、環境の間に良い循環をつくることも、同じくらい重要なのだろう。

6.確固たる「私」も存在しない?

もう一段、考えを進めてみたい。同じ人間が、同じ場所で、同じ景色を眺めている。それなのに、見える世界が変わる。では、その景色を見ている「私」とは何なのだろう。私たちは普段、確固たる「私」が存在し、その私が世界を認識していると思っている。しかし、実際には、身体の状態も、感情も、思考も、世界モデルも、絶えず変化している。そして、その組み合わせによって、経験する世界が生まれている。そう考えると、「私」とは固定された実体というよりも、身体と脳と環境の相互作用の中で、絶えず構成されているものなのかもしれない。以前から考えてきた「自己モデル」という概念も、ここで意味を持つ。脳は外部世界のモデルだけでなく、その世界の中に存在する自分自身のモデルも構築している。そして、その自己モデルも経験によって更新されていく。世界も、自己も、完成したものとして存在するのではなく、常に編集され続けている。少なくとも、私たちが主観的に経験する世界と自己については、そう考えることができそうだ。

7.生活OSを整えることの本当の意味

卒サラして4年。東京と箱根の二拠点生活を続けながら、私は自分なりの生活OSをつくり込んできた。睡眠、食事、運動、住環境、人との交流、活動の多様性、そして余白。以前は、これらを健康や生活の充実のための要素として考えていた。しかし、最近は少し違った意味を感じるようになっている。生活OSを整えることは、単に健康を維持したり、活動量を増やしたりするためだけではない。世界をより豊かに経験できる状態をつくることでもある。同じ一日でも、身体が軽く、心が穏やかで、好奇心が働いているときには、さまざまな発見がある。反対に、心身の状態が悪いときには、同じ一日が単調に感じられることもある。64才になって、身体への関心が再び高まっている。ジムに通い、歩き、身体を動かす。これは、将来の身体機能を維持するための先行投資であると同時に、今この瞬間の世界との接続を豊かにする活動でもあるのだろう。

8.人生の豊かさは、世界の受け取り方にもある

若い頃から長い間、私は外部世界を変えることに多くのエネルギーを使ってきた。仕事で成果を上げる。収入を増やす。資産を蓄積する。生活環境を整える。いずれも意味のある活動だった。しかし、64才なった今、少し違う方向にも目が向いている。すでにある環境の中から、どれだけ豊かな経験を生み出せるか。同じ景色の中に、どれだけ新しい発見があるか。そして、そのために自分の心身をどのような状態に保つか。これは、外部世界の獲得から、世界との関係の質へと関心が移っているということなのかもしれない。もちろん、新しい場所を訪れ、新しい人と出会い、新しい経験を重ねることも続けたい。外部世界との接点を広げることと、世界を受け取る自分の状態を整えること。その両方が補完し合うことで、人生の豊かさはさらに増していくのだろう。人生を豊かにするとは、豊かな世界を手に入れることだけではない。同じ世界から、より豊かな経験を生み出せる自分を育てることでもある。同じ景色が違って見える。そんな日常の小さな発見から、人間の設計思想について、またひとつ理解が深まった気がする。そして、明日の朝、いつもの景色がどのように見えるのか。それを観察すること自体が、ちょっと楽しみになってきた。今日も生きていて面白そうだ。

【今日の1日】5時起床。朝ルーティン。朝食。ゴルフ企画。ゴミ捨て-ジム-昼食(蕎麦)-<大雨>-(映画)。2027年企画。大河ドラマ鑑賞。夕食。就寝。(一言)ゴルフスイング、左足で踏ん張りながら左腰を引く、手は左手主導で振り下ろす。 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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