昨日のブログでは「心の満足度」と言ったが、還暦を経て心が真に欲しているものとしては「心の平穏」と表現するのが適切かも。
① 世の中には、淡々と流れる現実と自分の心(脳)があるだけだ。人間は進化の過程(生存・生殖=個体として生き延び子孫を残す=生をつなぐ)で、過去を記憶できるようになり未来を想像できるようになった(人間以外の動物は現実があるだけ)。で、過去-現実-未来とつなぐ中で時間の概念を得て、また、コミュニティーの中で最大150人と生活する中で死を理解し、自らも死ぬことを認識した(人間以外の動物にそのような認識はない)。「生をつなぐ」プログラム(すべての動物)⇔「自らも死ぬ」認識(人間だけ)の相反性が心の不安を発生させた。
② 加えて、人間の脳の想像力は他者(共同で狩・生活をするパートナー)の心にもおよび、結果としてよりスムーズなコミュニケーション、自他区分(人間以外の動物の脳内世界は各個体の中で完結し、個体を越えて干渉することは/他者を思いやることはほぼない)を得た。さらに、コミュニケーションの先に言語を発達させ、自他区分の先に自我・自由意志・セルフコントロールを得た。しかし、一方で、自利・自己優先(ダイレクトに自己の生存優先。他人の不幸は蜜の味等、相手へのマイナス感情)⇔他利・他者配慮(協働で獲物であるマンモスを倒す)の相反性(バランス感・道徳観・倫理観)が心の不安(ジレンマ)を発生させた。
③ 現代社会で忘れてはいけないものはお金との関係性だろう。現代社会の宗教は資本主義・拝金主義という見方がある。実際、お金があれば心の真の満足以外は得られる。お金は手段と頭では理解しているが、どうしても強い執着心がある。執着の適切なレベル感は難しい問題(心の不安定要因)。
以上の3点、および、人間特有の不安症(脳の想定と今の人間が置かれた環境には大きなギャップがあり、現代社会の安全度を踏まえて、人間は根源的に過度な不安症といえる)の乗り越えたところに心の平穏がある。心の平穏への道の全体像は掴んだような気がする。
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