価値観

76歳のフランス人の知人を見ていて、最近いろいろ考える。彼は奥さんと死別して20年以上になる。言動を見ていると、76歳になった今でも性欲はあるように感じる。最初は単純に、「20年以上、一人で性欲をどうしてきたのだろう」と思った。しかし考えているうちに、これは性欲だけの話ではないことに気づいた。

人が伴侶との関係から得ているものを分解してみると、いろいろある。性行為。身体接触。親密な会話。誰かに必要とされる感覚。日常を共有する相手。若い頃には、これらをあまり分解して考えなかった。結婚して一緒に暮らしていれば、全部が一つのパッケージとして存在するからだ。

朝起きれば、誰かがいる。一緒に食事をする。くだらないことを話す。相手の予定を気にする。身体に触れる。「そろそろ行こうか」と声をかける。一つひとつは小さなことだ。しかし、それが何十年間も続く。考えてみれば、夫婦とは愛情関係であるだけではなく、お互いの生活を動かす仕組みでもあるのかもしれない。

ひとりだったら進まないことが、ふたりなら進む。

ひとりなら「今日はいいか」と思うことでも、ふたりなら食事を作る。ひとりなら家にいるところを、「ちょっと出かけようか」で外に出る。ひとりなら先送りすることも、「これ、どうする?」という一言で動き始める。

ひとりの場合は、自分で自分を起動しなければならない。ふたりの場合は、相手の存在そのものが小さな外力になる。だから伴侶を失うということは、単に「話し相手がいなくなる」ことではないのだろう。自分の生活を日々少しずつ動かしてくれていた、無数の小さな駆動力も同時に失う。76歳の彼を見ていて、そんなことを考えた。

そして、それを自分事に置き換えてみると、妙に納得するところがあった。最近の私は、身体が動くこと。安心して眠れること。おいしく食べられること。誰かと話すこと。触れ合うこと。誰かを気にかけ、誰かに気にかけてもらうこと。今日一日、ちょっと面白いことがあること。そんなことに以前より意識が向いている。

若い頃は違った。仕事。収入。肩書。家。子育て。評価。将来。達成。人生にはいろいろなものが乗っかっていた。もちろん、それらも必要だった。人生の前半とは、ある意味で「足していく時代」なのだろう。知識を足す。経験を足す。仕事を足す。財産を足す。人間関係を足す。役割を足す。そうやって自分の世界を広げていく。ところが、年齢を重ねると逆方向の動きが始まる。

子どもは独立する。仕事を離れる。肩書がなくなる。付き合いも少しずつ整理される。所有物も減らしていく。身体的にできることにも限りが出てくる。足してきたものが、少しずつ削ぎ落とされていく。「老い」というと、普通はこれを「失うこと」と考える。確かにその側面はある。しかし最近、別の見方もできるのではないかと思うようになった。余分なものが削ぎ落とされるからこそ、人生を成立させている本質的なものが見えやすくなるのではないか。

身体が動く。
食べられる。
眠れる。
人と話せる。
触れ合える。
誰かと気にかけ合える。
そして、今日という一日に何か面白いことがある。

ずいぶんシンプルだ。でも、考えてみれば、人間が機嫌よく生きていくために必要なのは、案外このあたりなのかもしれない。最近、シンガポールを歩き回っていても、それを感じる。

よく歩く。
街を眺める。
「おや?」と思う。
スーパーで食材を見る。
料理する。
食べる。
昼寝する。
また夕方になったら外へ出る。
家族と少し話す。

派手なことはほとんどしていない。それでも面白い。人生への関心が小さくなったのではない。むしろ逆なのだと思う。これまで「成功」「幸福」「豊かな人生」といった大きな言葉でまとめていたものを分解して、「では、実際に人間を満たしているものは何なのだろう?」と見るようになった。欲がなくなったのではなく、欲求の解像度が上がったのかもしれない。そして、ふと思った。

人生とは、複雑になっていき、世界を広げ、いろいろなものを手に入れ、やがて少しずつ削ぎ落とされ、もう一度シンプルになっていく。そんな過程なのではないか。ただし、最後のシンプルさは、最初のシンプルさとは違う。子どもは、まだ何も持っていないからシンプルだ。老人は、いろいろ持ち、いろいろ経験したあとで、何が大切なのかが分かってシンプルになる。同じ場所に戻ってきたように見えて、実は少し違う場所にいる。循環というより、螺旋なのかもしれない。老いるとは、単にできることが減っていくことではない。複雑だった人生から余分なものが少しずつ削ぎ落とされて、「自分が生きていくために、本当に必要なものは何か」が見えやすくなっていくことでもある。

身体が動き、生活が循環し、人とつながり、今日に小さな面白さがある。今のところ、それだけでも人生は相当に豊かなのではないかと思っている。

【今日の1日】5時起床。家事一般。新聞+サイト運営。白湯+オイルうがい+ピラティス。朝食(ソーセージ卵)。散歩-ローカル市場-地下鉄(郊外)-インド街散歩-昼食(インド料理)-散歩。散歩-買物-散歩。LINE会話2。夕食(ステーキ)。就寝。(一言) 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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