シンガポールに滞在していて、ふと気づいた。
DoingとBeing。
意志で動かすことと、状態をつくること。
観光することと、日常生活をすること。
一見すると別々の話だが、どうもこれらは、かなり同じ構造をしている。
観光はDoingである
旅行に行くと、普通は「何をするか」を考える。どこへ行くか。何を見るか。何を食べるか。何時に出発するか。限られた時間の中で、できるだけ多くのものを経験しようとする。これは典型的なDoingの世界だ。私自身、海外に行けば長い間そうしてきた。
ところが今回のシンガポール滞在は、少し違った。ホテルではなく長男宅に泊まり、朝起きて、その日の気分で外へ出る。運河沿いを歩く。MRTに乗る。知らない住宅地を歩いてみる。スーパーをのぞく。昼になったら何か食べる。疲れたら家に戻って昼寝をする。夕方になったら買い物に出て、自炊する。
名所をいくつ回ったかと聞かれると、大したことはしていない。しかし、不思議なくらい面白い。これはもう「シンガポールを観光する」というより、「シンガポールで生活している」という感覚に近い。
「何をするか」から「どういう状態になるか」へ
ここで、以前から考えてきたDoingとBeingの話につながった。Doingは、「何をするか」が先にある。Beingは、「どういう状態でいるか」が先にある。観光では、「今日はここへ行こう」と意志が自分を動かす。日常生活では、「ちょっと歩きたいな」「向こうが気になるな」「お腹がすいたな」「疲れたから帰ろう」と、そのときの状態から次の行動が生まれてくる。この違いは意外に大きい。
「意志で動く」ことにも似ている
私は最近、人は意志で動くというより、状態によって動くのではないかと考えている。従来の発想は、目標→意志→行動→成果となる。「健康のために毎日一万歩歩こう」と決め、自分を動かす。もちろん、それも必要だ。
しかし別の方法もある。環境→状態→意欲→行動である。今回のシンガポールでは、一日に一万歩、二万歩と歩く日が珍しくない。しかし、「健康のために二万歩歩かなければ」と自分に命令しているわけではない。外へ出ると知らないものがある。「あれは何だろう?」少し歩く。住宅地の雰囲気が変わる。「この辺りにはどんな人が住んでいるのだろう?」また歩く。MRTの駅が見える。「ここから地上区間を走るのか」乗ってみる。気づけばずいぶん歩いている。歩こうとした結果ではなく、歩きたくなる状態になった結果、歩いている。
Beingは「何もしない」ことではなかった
DoingとBeingという言葉を並べると、Beingは静かに座って何もしないことのようにも聞こえる。しかし、どうも違う。Beingが整えば、Doingはむしろ自然に出てくる。Being → Doingなのだ。
身体の状態がいい。
好奇心が動いている。
周囲に面白いものがある。
時間に余白がある。
そうすると、「さあ行動しよう」と自分を鼓舞しなくても、身体が勝手に動き始める。これは私が考えてきた「状態ファースト」とほとんど同じ話だった。
観光から生活へ
そう考えると、今回シンガポールで感じている「観光より日常生活が面白い」という感覚も説明できる。観光はDoingに寄りやすい。見る。行く。食べる。体験する。そして、「今日は何をしたか」が評価軸になる。
一方、生活では、よく眠れた。気持ちよく歩けた。おいしく食べた。知らない街を眺めた。誰かと少し話した。面白いことをひとつ発見した。という「どういう状態で一日を過ごしたか」の比重が大きくなる。つまり、
観光は行動を消費する。
生活は状態を味わう。
そんな違いがあるのかもしれない。
二拠点生活も同じだった
ここまで考えて、もうひとつ気づいた。東京と箱根の二拠点生活も、実は同じなのではないか。私はふたつの場所で、違うことをするためだけに移動しているわけではない。東京にいると、街、人、店、文化、情報から刺激を受ける。箱根に行くと、自然の中で身体が緩み、思考も静かになる。場所を変えることで、自分のBeingが変わっている。だとすれば、二拠点生活とは、「二つの場所を所有すること」でも、「二つの場所を行き来すること」でもない。場所を変えることによって、自分の状態を循環させる生活なのかもしれない。そしてシンガポールが第三拠点になるとすれば、それも同じだ。東京でもない。箱根でもない。気温も、言葉も、人種も、食べ物も、街の構造も違う。だから思考の矢印が外へ向き、好奇心が動き、自然に歩く。シンガポールで「何をするか」が重要なのではない。シンガポールにいると、自分がどうなるのか。こちらの方が、第三拠点を考えるうえでは本質なのだろう。
人生後半は「何をするか」だけで考えなくてもいい
サラリーマン時代は、Doing中心だった。仕事をする。成果を出す。役割を果たす。次の目標へ進む。Doingが人生を前へ運んでくれた。しかし卒サラして、その必要性が薄れてくると、別の問いが現れる。これから何をするか。ではなく、これから、どんな状態で生きていたいか。そして面白いことに、Beingを大切にしたからといって、Doingが減るとは限らない。むしろ逆かもしれない。よく眠れる。身体が動く。好奇心がある。人と話したくなる。外へ出たくなる。何かを書きたくなる。状態が整えば、行動はあとからついてくる。
だから人生後半では、Doingを直接増やそうとするより、Doingが自然に生まれるBeingをつくる。そんな生き方があってもいい。
DoingとBeing。
意志と状態。
観光と生活。
別々に考えていた三つの話が、シンガポールでひとつにつながった。
何をするかより、どうあるか。
行動を命令するより、行動したくなる状態をつくる。
場所を攻略するより、その場所で暮らしてみる。
そして最後には、やはりここへ戻ってくる。
人は、意志だけで動くのではない。状態が整えば、人は自然に動き始める。
【今日の1日】5時起床。家事一般。新聞+サイト運営。白湯+オイルうがい+ピラティス。朝食(ベーコン卵)。帰国準備。昼食(残り物)。散歩-地下鉄-モール(喫茶・夕食)-散歩。LINE会話2。就寝。(一言)
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
