安心の周辺

最近、「人間の取扱説明書」を考えながら、生活OSというものをずっと考えている。身体、時空、関係。何を食べ、どう身体を動かすか。どこで、どんな時間を過ごすか。誰と、どんな関係を持つか。この三つを生活OSとして捉える考え方は、自分の中ではかなり定着してきた。ところが最近、そのさらに下に何があるのだろう、と考えるようになった。そもそも生命体は何を求めているのか。最初に浮かぶのは「生存」である。そして「生殖」。生命は個体として生き残るだけでなく、次の世代へ生命をつないでいく。では、その次は何だろう。ここでひとつ、とても腑に落ちる言葉が出てきた。生命体は、自分と環境との関係を安定させようとしている。考えてみれば、身体はずっとこれをやっている。暑ければ汗をかく。寒ければ震える。血糖値、水分量、体温などを一定範囲に保とうとする。身体の内部だけではない。危険な場所から離れる。食べ物を確保する。安心して眠れる場所を探す。生命体は、自分だけで完結して生きているわけではない。常に環境と接しながら、「ここで大丈夫か」「この状態を維持できるか」を探り続けている。

人間になると、この仕組みが猛烈に複雑になる。住む場所を選ぶ。一日の時間の使い方を整える。家族や友人との関係を作る。仕事をする。お金を蓄える。社会制度を利用する。つまり私が「生活OS」と呼んできた身体・時空・関係も、もっと根っこのところでは、自分と環境との関係を、生存可能な範囲に調整し続ける仕組みと見ることができる。

そう考えると、「安心」の位置づけも少し変わってくる。安心は、生命体が直接追い求めるゴールというより、「自分と環境との関係は、今のところ大丈夫そうだ」という身体からの信号なのかもしれない。だから安心しよう、安心しよう、と頭で考えてもなかなか安心できない。身体、住む場所、時間、関係などが整い、生命体と環境との関係が安定すると、その結果として安心がやってくる。

ここまで考えると、もうひとつ面白いことが見えてくる。生命体は、安心したらそこで止まるのだろうか。どうもそうではない。一定の安心が確保されると、今度は外へ向かい始める。周囲を歩き回る。新しいものを見る。遊ぶ。試してみる。学習する。つまり探索である。そして人間の場合、この探索能力が非常に大きく発達した。知らない場所へ行く。知らない人と話す。本を読む。旅をする。考える。何かを作る。文章を書く。探索はやがて、創造にまで発展する。

すると、ひとつの流れが見えてくる。生存→環境との関係を安定させる→安心→余力→探索→学習→創造 ただし、これは直線ではない。探索すれば、新しい環境に出会う。新しい環境に出会えば、少し不安定になる。そこで再び、自分と環境との関係を調整する。そして安定すると、また探索する。安定 → 探索 → 不安定 → 調整 → 新しい安定 → 次の探索。生命は、こうした循環を続けているのかもしれない。

そう考えると、最近の自分自身の変化も面白い。卒サラして4年。二拠点生活を始めて6.5年。身体、時間、住む場所、夫婦関係、経済基盤など、かなりの部分が安定してきた。ところが最近、シンガポールへ行ったり、国内旅行に目が向いたり、「変化」「非日常」「創造性」といった言葉が妙に気になる。以前なら、「落ち着いたのだから、その生活を維持すればいい」と考えたかもしれない。しかし生命体という視点から見ると、むしろ逆なのかもしれない。安定したから、探索したくなった。安全基地ができたから、少し遠くへ行きたくなった。これは生活への不満ではない。生命体として、ごく自然な動きなのかもしれない。

そして、この視点に立つと「お金」についても少し見え方が変わる。お金そのものは生命体には存在しない。文明が作った道具である。しかし、お金があれば、食べ物、住居、医療、移動、時間など、多くのものと交換できる。だから現代人にとってお金は、自分と環境との関係を安定させるための、極めて汎用性の高い媒介物になった。その結果、生命体が求める「安心」と、お金が強烈に結びついた。お金が減ると不安になる。増えると安心する。十分あるはずなのに、さらに蓄えたくなる。ここには生命体としての仕組みと、文明が作った貨幣システムと、自分自身が長年かけて作った金銭モデルが複雑に絡み合っている。だから金銭感覚は、頭で計算しただけでは簡単には変わらないのだろう。

そして人生後半になると、面白い逆転が起こる。お金を蓄積することで環境を安定させてきたのに、十分に安定した後まで蓄積だけを続ければ、今度は探索する機会を失ってしまう。本来なら、お金→安心で終わるのではなく、お金 → 安心 → 余力 → 探索 → 経験・関係・創造へ流れていくはずなのだ。ここでも、直線ではなく循環が見えてくる。

私はこれまで「心の平静」を人生のかなり上位の目的として考えてきた。それは今も変わらない。ただ、平静とは「何も起こらない状態」ではないのかもしれない。戻ることのできる安心した場所を持ちながら、ときどき未知へ出ていく。静から動へ。そしてまた静へ。静 → 動 → 静。これもまた、生命体が環境との関係を更新しながら生きていく、一つの自然なリズムなのかもしれない。

【今日の1日】5時起床。家事一般。新聞+サイト運営。白湯+オイルうがい+ピラティス。料理。朝食。コンビニ-ヨガ-昼食-買物-ジム。料理。夕食。阪神タイガース観戦(最終戦)。就寝。(一言) 

【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト

【OUTPUT】マンダラチャート維持

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