組織の「煽り運転」に要注意 ― 卒サラ前後の8年間で見えてきたこと
組織は文明の産物である。社会を運営するためには不可欠な仕組みだ。しかし、個人の生命活動という視点から見ると、「煽り運転」と同様に要注意な存在でもある。最近、そんなことを考えている。
組織は「仮の宿」だった
私は37年間半のサラリーマン生活を経て、2022年9月、還暦で卒サラした。最初の31年間は日系信託銀行、その後の6年間半は外資系証券会社で働いた。振り返ると、最後の6年間半、ジョブ型組織で働いた経験が大きかったように思う。それまでのメンバーシップ型組織では、組織への所属が先にあり、その中で仕事や役割が与えられていた。組織と自分の人生が一体化しやすい仕組みだった。一方、ジョブ型組織では、特定の職務を遂行するために組織と契約する。組織と個人の関係が比較的明確だった。その経験を通じて、組織は人生そのものではなく、一定期間滞在する「仮の宿」なのだと気づいたように思う。しかも、その認識は多少寂しさがあったが、一方で一定の心地よさ・「軽さ」を伴っていた。組織に所属することと、自分の人生を生きることは別なのだ。
卒サラにはふたつの4年間が必要だった
最近、卒サラ前後の8年間を振り返ってみた。2019〜2022年は「解放・自由」の4年間。卒サラに向けた準備を進め、実際に組織を離れた。2023〜2026年は「設計・生活」の4年間。自然・身体・空間・関係・時間という5つの要素から、自分自身の生活OSを構築してきた。そして2027年以降は、その生活OSに時間軸を加え、活動・疲労・回復・探索の循環を調整する段階に入ろうとしている。こうして振り返ると、随分と整然とした展開に見える。しかし、実際には卒サラ後の生活など全く予想できていなかった。ただ「怖いもの見たさ」で、未知の世界に踏み出したのである。今になって、多くの人が卒サラを躊躇し、なんとなく仕事を続ける理由が少し理解できるようになった。会社は収入だけでなく、所属、役割、人間関係、社会的評価、そして毎日の時間割まで提供してくれる。つまり、非常によくできた生活OSでもある。そこから離れるということは、自由を獲得すると同時に、生活の構造を自分でつくらなければならなくなるということだ。経済的な問題だけではない。卒サラ後の生活を想像できないこと自体が、大きな障壁なのだろう。
組織による二つの「煽り運転」
ところで、組織には組織自身の論理がある。成長、競争、効率、利益、評価、存続。これらは組織を運営するうえでは合理的な目標だ。しかし、そこで働く個人の生命活動にとって、常に合理的とは限らない。組織は、個人が本来望む以上の速度で走ることを要求する場合がある。目標を達成すれば、次の目標が設定される。成果を上げれば、さらに高い成果を期待される。まるで後続車に煽られながら走っているようなものだ。しかし、もっと厄介なのは、その煽り運転が自分の内側に入り込むことである。長年、組織の価値観に浸かっていると、速く動くこと、成果を出すこと、時間を無駄にしないことが、いつの間にか自分自身の価値観になってしまう。誰にも要求されていないのに、自分で自分を煽るようになる。つまり、組織による煽り運転には二種類ある。第一は、組織から煽られること。第二は、組織の価値観を内面化し、自分で自分を煽ること。後者は、会社を辞めても簡単には消えない。
卒サラ後も、自分を煽っていた?
最近、私はジム通いを増やし、東京でも箱根でも頻繁に身体を動かしている。ヨガ、マシンピラティス、ゴルフ、散歩なども含め、身体活動はかなり充実してきた。ところが、活動を増やしすぎると疲労が蓄積し、睡眠が浅くなり、思考まで悲観的になることがある。一方で、身体が回復すると、睡眠も深くなり、世界の見え方まで変わる。ここで気づいた。個別の活動を最大化することと、生活全体を最適化することは違うのだ。もちろん、運動に熱心になること自体が悪いわけではない。しかし、良い活動だからといって、際限なく増やせば良いというものでもない。このあたりに、サラリーマン時代の成果主義的な発想が、まだ残っているのかもしれない。卒サラから4年間が経過。組織からの煽り運転はなくなったが、自分自身による煽り運転には、まだ注意が必要なようだ。
文明の速度と生命体の時間
最近、思考や文明について考える中で、ようやく「時間」という問題に突き当たった。文明は、人間の活動を効率化し、加速させ、拡大してきた。組織も、貨幣も、情報も、AIも、そうした文明の道具である。これらは人間の可能性を大きく広げてくれる。しかし、生命体としての人間には、文明とは異なる時間の流れがある。活動すれば疲れる。疲れれば休む。回復すれば再び活動し、余裕が生まれれば探索に向かう。この循環を無視して活動だけを増やしても、生活全体が豊かになるとは限らない。組織は社会に必要だが、組織の速度が個人の人生に適しているとは限らない。文明は生命体を支えるための道具である。しかし、生命体が文明の道具になってしまうことがある。組織との関係も、まさにその一例なのだろう。
自分の速度で生きる
振り返れば、2019〜2022年は組織からの煽り運転を終わらせる期間だった。2023〜2026年は、自由になった時間を使って、自分自身の生活構造をつくる期間だった。そして2027年以降は、その構造の中で、自分に適した速度とリズムを見つける期間になるのだろう。目指しているのは、単にゆっくり生きることではない。活動するときは活動し、休むときは休み、探索するときは探索する。身体・感情・思考の状態を観察しながら、生活全体が心地よく循環するように調整していく。組織という仮の宿を出て4年間が経過。ようやく、自分の生活の時間割が整ってきた。そして今、その時間割を埋めることよりも、時間の流れそのものを心地よくすることに関心が移っている。
組織は社会に必要な文明の装置である。しかし、組織の速度を、自分の人生の速度にしてはいけない。
卒サラ前後の8年間を経て、ようやくそんなことが見えてきた。
【今日の1日】5時起床。朝ルーティン。朝食。休息。昼食。ChatGPT。思索・執筆。大相撲観戦。夕食。大河ドラマ鑑賞。就寝。(一言)ゴルフスイング、左足で踏ん張りながら左腰を引く、手は左手主導で振り下ろし、右手も加勢して振り抜く。
【INPUT】(日経新聞) (WSJ) (YouTube)(読書)「卒サラ@還暦 物語― 人間の設計思想を再発見する物語」ドラフト
【OUTPUT】マンダラチャート維持
